拝啓グエン君〜インドネシア・リアウ諸島ガラン島のベトナム「ボートピープル」難民収容所跡地を訪ねる@Galang Island, Riau Archipelago, Indonesia
2位
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- 旅行時期 :
-
- 2011/10/23 - 2011/10/23
- (約7ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 遺跡・史跡・歴史
- 投稿日 :
- 2011/10/24(約7ヶ月前)
- 写真 :
- 120枚
- コメント :
- 8件
- 旅の満足度 :
- 観光 :
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- 同行者 :
- 一人旅

アメリカ留学中、ある授業でベトナムのボートピープル出身のグエン君(Nguyen)と一緒になった。自由の象徴ともいえるアメリカの国旗について彼は授業中にこのように語った。
「自分にとってアメリカの国旗の横のストライプは自分を閉じ込めている鉄格子に見える。鉄格子の狭間に見える星は、自分がたとえ手をのばしたとしても決してつかむことのできないもの。」
その場が水を打ったように静かになった。彼はさらにアメリカに来てからもう何年も経っているのにも関わらず父親が毎晩うなされていることも語った。同じ授業には、アメリカが何分毎かにのべ10年以上にも渡って爆撃しつづけたモン族の村(現在のラオス)から命からがら逃げてきた女の子もいた。南シナ海の荒波にもまれながら、今にも転覆しそうな船に何十人も乗っているあの光景でしかボートピープルという存在を知らなかったし、実際あのボートに乗った人のひとりが今、自分の目の前にいるといわれてもにわかには信じがたかった。
国の運命に自分の人生が翻弄される、というのはもう私の世代にはない。当時はまだ私も10代で無垢な正義感に溢れていたので、何事もなく生きてきた自分の人生が自分で許せないような、居心地の悪さを感じたのを覚えてる。
グエン君のようにボートピープルの人達が受入国にいくまで滞在していた場所のひとつがバタム島の更に南のガラン島に残っている。アメリカに辿りついたということは、恐らくグエン君のご家族は経済難民ではなく、初期にベトナムから流出した政治難民に違いない。
今回は自分のためだけのちょっとシリアスな社会学習。
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前々から行こうとは決めていたものの、腰が重かった。いきなりこの日の朝、「今日行こう!」と唐突に決定。シンガポールに住まなかったら、ここには決して来なかったと思う。
バタム島へは幾つかの会社がフェリーを運行しているけれども、特に理由もなく毎回ペンギンを利用。9時の便は満席っぽかったのだけど、「あなたひとり?ひとりだったらいいわ」とそんないい加減な理由で9時の便に席をとってくれたおねえちゃん。 -
VOA(VISA ON ARRIVAL)で10米ドル支払い、無駄にパスポートの貴重なページを1枚さかれた後にインドネシアに入国。入国審査を通過し、フェリーターミナルの1階で車をチャーターできるかどうか聞いてみたけれど、「この建物の中に車チャーターの会社は入っていないわよ」ということだった。うーん、しょうがない、気が進まないけど、タクシーをチャーターするか〜・・・
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一路、ガランへ。運ちゃんが怪しい人だと困るのでいつも1対1の場合は運ちゃんの真後ろに座って、いつでも背後から運ちゃんを羽交い絞めにできるような?位置に座るようにしてる茶柱。
が、おっちゃんはスマトラ出身の普通の人であった。しかも遅いというわけではなく、珍しく安全運転のインドネシアンドライバー。 -
バタム島からレンパン島へかかっているバレラン橋(Barelang Bridge)。運ちゃんが「スタンバイ、スタンバイ?」と聞くので(多分、止まるかと聞いているのだろう)、とりあえず、じゃ、「スタンバイ」と答えた。
1997年に完成したらしい。一応観光スポットになっているらしく、橋の上にアイスクリーム屋さんが何やら陽気な音楽を流しながらやってきて、堂々と駐車してたりして、途中はところどころ1車線になっちゃってるよ。^^;
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実は訳あって、父・茶柱タツ蔵はこの難民収容所が閉鎖される前の1996年にここをバタム空港経由で訪れている。そういえば昔、そんな話を聞いたような気もしたけれど、すっかり忘れていた。今回、「近々バタムの難民収容所跡地に行こうと思う」という私に、
「おお、行って来るといい!あんなところ誰も行かないだろうから」とタツ蔵スタイルで薦められた・・・・^^;普通、止めるだろう、と思いつつ。
当時の様子をカメラに収めていたタツ蔵。
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影** -
父と同じ講堂を別の時期に見ていたことがわかりました。娯楽が一切ない難民収容所で唯一の楽しみはこの講堂に集まってひとつのテレビを共有すること。講堂の奥まで人がびっしりです。後ろのひとは到底見えません。でもここでひとつの時間を共有するということに意義があったのかもしれない。
タツ蔵によれば、インドネシアのチャンネルがひとつぐらい、そしてあとはビデオの放映だったとか。
**茶柱タツ蔵1996年7月17日撮影** -
バタム島に戻ってきたら、雨が降った形跡などまったくなかった。
フェリー乗り場の向かいにあるハイパーマートの中にて遅い昼食。
うまく説明できないけれど、お皿の上でインドネシアンクリスマスが繰り広げられてる感じ。NASI PEDASだそうです。美味しかったぁ。何せ、朝シンガポールのフェリーターミナルで大急ぎで買ったチャーシューまんしか食べてなかったもんで。
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