★ケニア&ルワンダの旅(3) −モンバサからラム島へ(2010・1再編)
1位
人気旅行記ランキングラム1件中
- SUR SHANGHAIさん
- 女性
- ラムの旅行記 : 1件
- 旅の満足度 :
- 観光 :
- ホテル :
- グルメ :
- ショッピング :
- 交通 :
- 交通手段 :
-
- 現地移動 : 船
- 同行者 :
- カップル・夫婦

★2010年1月:新たに出てきた画像をアップします。★
ジープが夜の山中でエンストしたマサイマラ国立保護区、94年の内戦前のルワンダからまたケニアに戻ってインド洋沿岸のモンバサへと移動したSUR SHANGHAIとその旦那。
モンバサからはセスナでラム島へも足を伸ばしてみることに。
ラム島は、ソマリア国境に近いインド洋の小島で、アラブの文化も混じりあう所。
メッカまでの巡礼ができないアフリカ各地の回教徒が「せめてここには巡礼したい。」と願う土地らしい。
ラム島に町が出来たのは14世紀で、ラム旧市街地に残る建物は東アフリカに現存する最古のスワヒリ系建築物群なのだとか。
(2001年にはその町並みが世界遺産の文化遺産に登録済み。)
さて、セスナの手配も済んで、出発当日の空港。
相乗りの客はスウェーデンから来た若夫婦。ともにセスナ機へと向かいます。
そこに「ハ〜イ!」と言って現れたのは、ノリノリな雰囲気の現地青年パイロット。
SUR SHANGHAIたちの荷物のほかにも、なにやらズッシリ重たげな袋をいくつか中に積み込みます。
「それは?」と聞いてみると、ラム島では今小銭不足でその補充という話。
さて、エンジンもかかった頃、件の青年パイロットがルンルンとラップ調で自己紹介。
「♪俺はアメリカで3ヶ月掛けてセスナの免許を取ったのさ〜。」
「♪モンバサには最近戻ってきたのさ〜。」
そこまでは「うんうん、良かったね。」などと相槌を打っていたSUR SHANGHAIたちも、
「♪アフリカではこれが初フライトさ〜。ラム島に行くんだっけ?」には、全員ギョッ!!! (◎o◎)!(◎o◎)!(◎o◎)!(◎o◎)!
思わず顔を見合わせたSUR SHANGHAIたちをチラリと見て、ニヤリと不敵な笑いの若葉マーク。
「♪今日は天気もいいし、大丈夫さ〜。DON’T WORRY!」
『そんなこと言われても…。』と全員一抹の不安を抱えて、ラム島へと飛び立ったのでありました。
表紙の画像は、ラム島のリヤダ・モスク前を行き過ぎる長衣を纏った回教徒。
-
これは、前編のルワンダからケニアに戻って来た時のシングル・ビザ。上の方の紫色のスタンプがそう。
ルワンダから入国した日付で発給されているので、ナイロビの空港で直接取ったビザだったのだと思います。
米ドルで20ドルと言う料金が出ています。
注: 個人情報保護の観点から、スキャンした後で一部を消してあります。
ナイロビでビザを取った後は、飛行機を乗り換えてモンバサ入りしたSUR SHANGHAIとその旦那。
注: ページの一番下に写っているのは、この一連の旅行の後で行ったリヒテンシュタインの記念的スタンプです。 -
この一連の旅の最初にモンバサ入りした時にはすぐに飛行機を乗り換えてナイロビ、そしてルワンダに向かったので、モンバサの街の中はぜんぜん見ていなかった。
モンバサはインド洋の島に造られた東アフリカ最大の港湾都市。
紀元前から港町として栄えていたのだそう。
本土とはごく近くてフェリーですぐそこの距離。
ラム島へと移動する前に、最初の数枚はモンバサの画像をアップします。行方不明の写真も多いので、モンバサ旅行記として独立させるのはちょっと無理。
モンバサのビーチ沿いにはリゾートっぽいホテルが並んでいた記憶があるなあ。
地元の人は入れないようになっていて、ロープの外側からお土産やダウ(小型の帆船)の客引きさんが声を掛けていたのがもの悲しい眺めだった。
これはモンバサ島にあるフォート・ジーザス博物館。
元々は砦として、1593年にポルトガル人に建てられたとのこと。
イギリス保護領時代には刑務所としても使われていたのだそう。 -
さ、もうすぐ接岸。
また繰り返す、人と車の乗り降り。
この頃、このフェリーは一日に何度行き来していたんだろう。
SUR SHANGHAIとその旦那が泊まったのは、モンバサの町の中心部近くの質素なゲスト・ハウスだった。
近くにブルー・フィンっていう地元料理の食堂があったと思うけど、その町角写真も今は無し。
モンバサの町の≪タスクス≫と呼ばれる象牙型アーチの写真も行方不明。 -
さて、ラム島への出発当日。
モンバサの空港に停まっていたこの飛行機にはちょっとびっくり。
胴体がぱっくり二つに割れている。(◎o◎)!
修理中じゃないですよね。
旦那は貨物飛行機じゃないか、なんて言ってたけど。
-
モンバサからは1時間ほどでラム島対岸の小島にある空港に無事着陸。
一同ホッと胸を撫で下ろす。
鉄条網に囲まれた小さい空港の外では、宿の客引きのおにいちゃんが待っていた。
“WELCOME TO PARADISE!”の挨拶と白い歯を見せた笑顔が印象的だった。
宿は決めていなかったので、小舟に乗ってラム島へとついて行くと…、 -
…案内されたのは、ラム旧市街地側の船着場から迷路のような道の奥にあったYUMBE HOUSE という宿。
その時にもらったパンフレットが出てきました。
この宿の名の≪YUMBE≫というのは、10世紀のスワヒリ語で≪宮殿≫を意味し、町の有力者たちが集会を開いていた場所だったと説明が付いていました。
この宿もまだあるかなと思って検索してみたところ、結構人気の宿としていくつも結果が出てきてびっくり。
-
YUMBE HOUSEは、緑濃い中庭を囲んだ宿。
当時の部屋の中はちょっと暗い感じだったような気がしますが、インテリアはアラビア風も入り混じってエキゾチック。
朝食付きのいわゆるB&Bとして営業していた宿でした。
YUMBE HOUSEのルーフトップへ出ると…、 -
…後年世界遺産に登録されたラムの旧市街地がこんな風によく見える宿で満足、満足。ヽ(*^ω^*)ノ
ラムの旧市街地の道は車が通れない幅。
かわりにロバがたくさんいて、荷物運びに使われていました。
町の規模は徒歩で見て回れるサイズ。
YUMBE HOUSEに落ち着いたSUR SHANGHAIとその旦那は、さっそく、まずは小さな港沿いへ散策に。 -
ラム島のあちこちのご紹介の前に出しておきたいのは、ラム旧市街地周辺の地図。
上の方に出したYUMBE HOUSEのパンフレットの裏表紙にあった地図で、画像左上にYUMBE HOUSEが出ています。
注: これは1993年1月時点での地図です。
画像右下の方に、るJETTY(桟橋)が表示されていますが、空港のある小島からの小船が着く桟橋はもっと北側にあったような気がします。その桟橋からYUMBE HOUSEまでは2〜300m位だったような…。
この時には桟橋がある海辺に沿ってずっと歩いていくことも出来ました。
JETTYの近くに見えている大きい四角形の建物はFORT(ラム要塞)で、ラム旧市街地の見所の一つ。
そのほかには小さい博物館や大小のモスクも多い町。
町並み自体が見所になっているので、迷路のような小路をあちこちさまよってみるのがラム旧市街地の歩き方だと思います。 -
上の方に出したラム旧市街地の地図のJETTYよりももっと南へ歩いていったSUR SHANGHAIとその旦那。
どこまで歩いて行けるのか試してみたい。
頭の上に荷物を載せて、船と陸の間を行き来する人の姿も見えるラム島の海辺。 -
上の方に出したラム旧市街の地図より、ずっと南へ歩いて行ったSUR SHANGHAIとその旦那。
広〜い砂浜になった所もあって、遠くにロバの群れを連れた人がいるのが幻のように見える。
その砂浜のそばには…、 -
メッカに代わってアフリカ各国の回教徒が巡礼したいと願うラム島の旧市街地。
建物が込み合っているし、道の幅が狭かったりするので、一つ一つの建物の全体像はなかなか撮れない。
東アフリカで現存する最古のスワヒリ建築物群がエキゾチックな眺め。 -
塩気を含んだ海風のせいか、年季が入った建物が一層朽ちた趣になっていたラム旧市街地の建物。
ラム島に町らしきものが出来たのは14世紀のことだそう。
かつては奴隷貿易の中心地だったり、アラビア交易ルートに組みこまれた歴史も持つラム島。
それを物語るかのように、町の人々は肌の色は黒くても顔立ちはアラブ系の血が濃さそう。 -
モスクの前を長衣の回教徒が颯爽と通りかかるラムの町角。
このモスクの名はリヤダ・モスク。
ハビブ・サリーという人物が1880年代にラムにやって来たのち、尊敬を集める宗教指導者となり、1900年にこのリヤダ・モスクを建てたと言われています。
リヤダ・モスクは、マウリディ祭(預言者ムハンマドの誕生を祝う祭)を行うモスクとしても有名だそうで、イスラム暦の第3月の最終週には、アフリカ各地の回教徒が巡礼に訪れるのだそう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する
ラム 旅行記ランキングこの旅行記は現在1位 (9票) です。
ラムのおすすめ観光スポット
-
-
ラム旧市街
- 0.00
- 旧市街・古い町並み
-
ラムのホテルピックアップ(もっと見る)
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし





















































