カメルーン旅行記 アフリカの縮図カメルーン バオバブとジャングルと砂漠と高原と
1位
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―― 天使が微笑み 悪魔が囁く ――
それはそれは、大変木枯らしの吹く日でした―――。
「せ、先生・・・・・これって・・・もしかして、もしかして・・・整形外科じゃなくって、あっちのほうでしょうかぁ〜(泣き顔)?」
アタシは仲間に抱えられて、ほうほうの体で診察室にたどりついていた。
来たくなかった病院・・・・・。
ここだけはカンベンして欲しかった病院・・・・・。
「だって、安くなるんだろ?」
おめ〜〜らそういう問題じゃねぇ〜〜〜。
若い医師の背後に立つ同級生の看護婦が笑いをかみ殺している。
アタシはこいつを殺してやりたい気分だ。
なんでって・・?このオナゴは、アタシの診察券を見るや否や地下にいる妻をいち早く呼びに行ったのである・・・・・。
そういうわけで、瀕死のアタシの背後で鬼の首をとったかのような顔で魔女は仁王ダチだ。
二日間アタシが立つこともできなかった左足のふくらはぎを押さえながら医師の沈黙。
――も、もったいぶらんと、はやく言うてくれぃ〜〜。覚悟はもうできております(泣)。せ、せめて、アタシの後の鬼を追い出してくれんかなぁ〜〜・・・・・(泣)あんた勤務時間中じゃなくって・?・・減給よ!(泣)・・・・・。
「・・・・ああ、痛風ねぇ・・・・・・なにか心当たりあるんですか?」
「でも先生・・・・・ここ最近は地元のほら、焼き鳥と言って足の腿揚げがあるじゃないですか?これが最高のご馳走にとって替わったのです。塩のみまぶした素揚げ、熱々、骨付きジューシーな肉汁(肉質)、皮のとこ与えておけばご機嫌さん♪です。ウルサイですか?
ザンギもいいですよね(※ 鶏の唐揚ですが、パン粉をまぶして揚げるご当地名物です)。ただしパサツイタ白身だと暴れるので注意。あるお持ち帰りの懇意な店では「持ち帰り注文?まるくん?またテバサキだけ?」などと辟易されております。これで、高級ワインからテーブルワインまで、泡盛の古酒から安焼酎。ベルギーのテンプルビールから発泡酒まで。
高級アイリッシュから和イスキー(笑)まで。なんでも、ドンドンいけちゃいます♪あ、脱線しそうでした・・・・・・。足の腿揚げの説明でしたよね?先生っ♪」
「・・・・・・・・・・・い、いや、いやもういいですよ(苦笑)。これはただの靭帯損傷でしょ?どうしてなったか記憶にないですか?」
「さぁ〜〜・・・・・?あっ、サッカーをやっておりまして、久方ぶりにしたので、痛めたのかな?」
「ああ、サッカーを・・・?」
「先生、一応血液測ってみましょうか?」
間髪いれず、背後から聞きなれた、とても聞き飽きた(笑)声がする。
ほらきた!だから、はやくこの女追い出せというのに!そして、ほぼ同時に医師の背後の女がたまりかねたように噴出し笑いころげた。
う、動けるものならけり散らしてやるところだわ・・お、おまえらなぁ〜〜(大泣)・・・。
まさか、まさかではあったが一応安堵した。
しかし、この痛さはハンパじゃない。
結局、杖を借りて地下の検査室へ降りた。
妻に血を抜きとられた人、この世で何人いるのかしら・・・・・?
アタマはまっ白だった。
で・・・・・医師曰く、「判定は、限りなく黒に近い灰色ということですね」
アタシは犯罪者か???
石膏で足を固められながら、アタシは気がかりでしょうがないことがあった。
「・・・で、先生・・・再来週から、ちょこっと、旅行の予定なんですが・・」
「え?スキー旅行とか言うんじゃぁないでしょうね・・・?」
「先生冗談きついわ(泣笑)。たんなる旅行ですよぉ〜〜」検査終えて、またまた付き添ってきた鬼妻を横目で見つつ、祈る気持ちだ。
「移動は歩くこともありますか?」
「あります、あります!・・・・・・・で!?どうなんでしょうか??」
「靭帯ですからね・・・安静にしていて回復するのが2,3週間ですけど・・・どこへ旅行ですか?」
「え〜〜と・・・外国です・・」
「えっ!????」看護婦まで、揃えて言わんでよろしっ(怒泣)。
「研修かなにかですか?」
「遊びです!!!」あっ・・・またまたアタシの後ろの鬼が口を開きましたか・・・・・あ、あなた、白衣の下の、ずいぶん大きくなったお腹さすりながら言わないでくださいます・・・・・(泣)。
「もうすぐ生まれるんでしょ?」
今度は後ろの鬼め、看護婦、うるさいっ!(怒泣)。
あんたら鬼のやりとりに先生、あきれ顔じゃないかっ(違だろ)。
・・・・で、回復の状況を待つ、というありきたりの診察と湿布と痛み止めを処方する、ということで長い長い一日が始まり、終わろうとしていた。
「・・・で、どちら方面へ行くんですか?」
「・・・・・・エムボマって知ってますか?」
「え?!」
だから、看護婦も口揃えんでよろしっ!!
「どこですか?それ?グアム??」
「・・・・カメルーンです・・・・」
「えっ!!???」今度は先生まで、三人同時に叫ぶなっ!!
「どのくらい?」
あ・・・・・ついにその質問ですか・・・
「・・・・・・2週間くらいだったかなぁ〜〜(オトボケ笑)」
「えええええっ!!?」
は、ハモルのも上手になりまして・・・・・・(涙
あ・・・・鬼さんには「ちょこっとバンコクでモニョモニョ」と、告げてましたっけ??
あそこ、経由地だからあながち嘘ではないのよ、いいのよねん・・・・・。
医局でクスリをもらうとき、事務局で支払いをするとき、冷ややかな視線があちこちから向けられていた。そして、仲間どうしでささやきながら、クスリと笑うのだ(シャレではありません)。こ、殺しておけばよかった、看護婦め。
サイアクの一日の終わりと始まりだった―――――――。
「で・・・・センセイ♪自宅療養の診断書をお願いしますね♪」
結局、アタシは1週間自宅療養し、しかしながらいっこうに足の具合がよくならないまま、そのまま旅立っていった。
カメルーンへ―――。
-
入国審査が近づくにつれ、空港内が騒然としている空気が漂ってきた。
な、なんだ?なんなんだ?なんなんなんなんだ?この騒ぎは?
空港ビルは天から神でも降臨したかのような大騒ぎだ。
太鼓やラッパの音にすさまじい歓声が被さる。
何列かに並び待つ間が非常に長かったが、パスポートを一瞥されただけで、入国審査は無事終了した。
その間も祭りのように賑やかなこと、この上ない。
通路を曲がり、大騒ぎする集団がようやく全容を現した。
ジェンベという西・中央アフリカ独特のドラムや、トーキングドラムをガンガン叩く若い男たち、そしてその周りは赤・緑・黄色のカメルーン国旗を肩にかけた男やなかには女もちらほら。
祭りそのものなのか、パリからきた一便の観光客を歓迎するセレモニーなのか、気分悪くはない。
いや、というよりあまりにもすさまじい賑やかさにこちらまでハイになってくる。
いやいやお出迎えありがとう、ありがとう。
カメルーンいいところね、一度はおいで、だよね。
―ズンチャカズンチャカ、ドンドコドコドドコドコドン、オーレッ、オーレッ、オーレッ―
まるで、サッカーを応援するサポーターのようではないか。
ん?サッカー?サッカー・・・・・・・・。
―えええええええええええっ!!??――
い、いま横を通り過ぎていったのは、かのエムボマさんではないかい?
おお、皆揃いのブレザーに水色のシャツにネクタイ、大きなスポーツバッグを肩にかけている。
ひょっとして、ひょっとせずともこの集団は―――。
カメルーン・ナショナルサッカーチーム!!アフリカのライオンたちのなのだ!!
出迎えてくれたアタシたちのガイドによると、この騒動の真相はこうであった――。
」
カメルーン・ナショナルサッカーチームは日本・韓国共同開催ワールドカップ大会のアフリカ予選を戦っている最中だが、1週間後の地元ヤウンデでの対ザンビア戦を前に、フランス代表チームとパリのスタットドゥ・フランス競技場で親善試合を戦い終えて、その帰還がアタシたちの飛行機と同じだったのだ。
その出迎えの熱狂的なサポーターたちなのであった。
アタシたちなんかの歓迎ではなくて、ゲートを出ても彼らから邪魔扱いだった(笑)。
アタシの旅はいつもささやかで意外なフェスタな渦中にいる気がする。
どこかでなにかのめぐり合わせが偶然の出会いが、楽しい朗らかない一瞬を満喫できる。
それらは、ほんの一瞬のできごとで、手からすぐにこぼれおちそうなものだが、それでも記憶の底に沈む珠玉の思い出である。
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ちょうど、ドゥアラで宿泊したMホテルには仮面専門店があった。
アタシがショーウィンドーから眺めていてビビビときた仮面があった。
店のマダムがニッコリ微笑むのを待つまでもなく、アタシは店に直行したかったが、生憎CFAへの両替が空港では銀行がなかったためできずにいた。
急ぎフロントで両替し、スーツケースを部屋へ放り込んで、じっくり仮面を物色するつもりだったが、
例のルームキーのおかげで、再び店を訪れたときには店には硬い鉄のシャッターが締まっていた。
ビビビ光線を送ってくれた彼女(仮面たちのことです)は黙って微笑んでいるままだ―――。
そして、カメルーン滞在中、ついに仮面ショップとは出遭えなかった。
かわりにアタシは帰国してインターネットショッピングで次々とビビビな仮面をゲットしている。
○ ブルキナファソ、モシ族のマスク
○ 赤道ギニア、ファン族マスク
○ リベリア、グレボ族マスク
○ コートジボアール、エケ族
○ ナイジェリア、イボ族
○ ブルキナファソ、ブワ族のマスク
○ ナイジェリア、ブヌ族のマスク
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関東地域のある専門店から大きなダンボールが家に届くたび、家族に呆れかえられながら・・・・・。
アタシはいつだってガラクタをお宝に変えてみせるのが得意だ。
例えば――――。
そんな買い物上手♪のアタシも、ドゥアラからマラアに着き、カプシキへ向かう途中寄ったモコロで考えあぐねていた。―買おうか、買わまいか、買おうか、買わまいか、・・・・・・・―
カラフルな女たちでとても賑わうというモコロの水曜市とやらは、すでに閑散としていた。
店畳みをはじめる彼女たちをボーッと眺めるでもなく、足が痛くて座りこんでいた。
そのとき、どこからともなくやってきた少年から差し出されたモノ。
う〜〜〜〜ん・・・・・しばらく考え込んでしまった。
二つの選択肢がこんなに大きな悩み問題だとは―――。
でも、欲しい・・・・・・・・。
どうしょうかどうしようかどうしよぉうかどうしよぉか???
それは、見たことにないくらい、やけにカラフルで大きな、生きたトカゲだった―――。
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ハレの儀式は終わったようだ。
マントのリーダーが何語かわからないが挨拶をした後、さきほどまで神聖な浮遊した感覚はとたんに遮断され、踊りのためにかき集められたであろう村びとたちはザワザワとお喋りしながらゾロゾロと帰っていった。
アタシたちも旅の疲れと祝祭の興奮が入り混じった体をもたげて、それぞれのコテージに戻る。
部屋に入る前、見上げた林の梢の間から覗く空には満点の星だった。
扉の敷居に座り、しばらく星の瞬きを眺めていた。
星のまたたきを、きらめきを―――。
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風がピタリと止む―――。
時計をみやると5時で、もう明け方だ。
アタシはそのままコテージを出て、朝の空気を吸い、そのままホテルの敷地を出て朝の散歩に出かけた。
ホテルの門を出たとたん、薄闇と朝靄のなかから現れたひとりの少年にまとわりつかれた。
朝日を追って薄っすら赤みがかった方角の道を行くのだが、少年は距離を置いてついて来る。
群れから離れた羊がいた。
小さな丘にはマルラという、太鼓の材料になる丸い梢と美しい密集した葉をもつ神聖な木がたっている。
やさしい空気に包まれた静かな朝だ。
しばらく歩いていると、前方の深い谷の奥に、昨夜、ルムスキィに向けて未舗装の道路を走る間、闇のなかからときどき浮かんでいたバナナを地に刺したのような奇岩が現れた。
その勇姿は、自然のミナレット(尖塔)のようでもあった。
「――九月のリュムシキは美しかった。
岩山が塔のようになって点在し、その麓は今しがた黄色い花と優しい緑に包まれていた。丸い茅を葺いた家は慎ましく、澄み切った空には上昇気流に乗ってトンビが愉快に飛び、セネガルカッコウが歓喜に満ちて鳴き競っていた。何と「ゼロ」の創造物の奏でる調和の美しいこと―――。
『楽園に帰ろう』 新妻香織 河出書房新書より―― 」
美しいものとは、なんだろうとしばしば考えてみて、いきつくところは、それは愛の確立だと思う。
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トゥルのマーケットは思わぬ盛況ぶりだった。
マルアのマーケットで懲りていた一同も、トゥルではアドレナリンが上昇し興奮状態だった。
マーケットではキビやアワなどの穀物やキャッサバ、バナナを蒸したもの、ヤム芋を茹でたものなどの食料から、パパイヤ、バナナなどの果物。テコラッタの土器や壺。そして色鮮やかな女性の服や生地、男性用の服、草履、帽子、男性ムスリムが着るガラベーヤなどもあった。
これらが、縦横無尽に張り巡らされた路上に道端に広げられているのだ。
青空散髪店などもあり、ルムスキィ散策でさらに悪化した感じの痛い足を引きながらでも、興味が尽きなかった。
このマーケットでひときわ目立つのが女性たちである。
村が近づくにつれて、道を歩く女性がヘルメットを被っているのに奇妙な感じがしていたが、市場に着いて驚くことに女性の頭にはヘルメット、ヘルメット、ヘルメットなのであった。
ガイドのジュリアンによれば、これはカラバッシュというひょうたんの一種をくり貫き、染め上げ装飾をして被る帽子だそうだ。
トゥルのマーケットで最も目を引き、そして大小さまざまなこのヘルメットのような帽子もたくさん売られていた。カメルーン北部キルディ族のうちトゥル周辺部族の伝統的ファッションなのだが、アタシにとってはどこか信仰宗教のように映り、ひとりでおっかなく感じもし、おかしかった。
女性はこのヘルメットのような帽子に大きな荷物を預け、手で支えて運ぶ。
伝統的な服飾ついでに、北部山岳地帯のキルディ族の女性は、懐妊すると、健康な子どもが授かるようにマルアの木とビーズで作った人形を腰に巻きつけて持ち運びするそうだ。
持ち運びといえば、アフリカでは伝統的に女性は頭にものをのせて運ぶのだが、道中おもしろいものをみかけた。
その前にカメルーンの経済に触れておこう。国民の60%は農業に従事、輸出額の半分以上は石油により、国民総生産は1995年統計で84億ドル、1995年人口推計で1328万人の人口で、国民一人当たり630ドルである。
政府歳入の輸出総額の大半は石油(1970年代リンベ沖で海底油田が発見され石油開発が開始され、精油所がリンボー・ポイントに建設されるなどして90年代初頭に原油産出量が年間6100万バレルとなった)によるが、石油以外にもこの北部地方では高品質のボーキサイト鉱がある。
カメルーン最大の発電所があるサナガ川沿いのエデアにはカメルーン最大規模企業のひとつであるアルミニウム精錬プラントがあり、輸入ボーキサイトを原料として年間約9万2千トンを生産している。
しかし、国民の経済を支えているのは農業と林業だ。
トゥルへの途中見かけた綿花などもそうである。綿花は1kgを100CFAで政府に買い取られるそうだ。カカオ、コーヒー、タバコ、バナナなどと同じく綿花も重要なカメルーンの輸出用作物だ。
林業ではマホガニー、コクタン、チークなど木材も重要な輸出品目だ。
漁業は近年ドゥアラを拠点とした大規模漁業も盛んになりつつあり、年間約8万トンの水揚げがある。
ちなみに、カメルーンの国名は、15世紀末、沿岸部に訪れたポルトガル人がカメルーン山南部の河口付近を「リオ・ドス・カマロス(エビがたくさんいる川)」を意味するポルトガル語でよんだことに由来するらしい。
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夕刻迫る5時半にモラの町に到着し、給油を行う。
モラもナイジャリアの国境がすぐ近くで、大型タンクローリーが頻繁に通る。
北部山岳地帯のガソリンスタンドはほぼナイジェリア産のガソリンらしい(笑)。
ガソリンスタンドのカフェでビールを飲んだあと、スタンドの裏を散策した。
大きなアリ塚があり、野ブタがそのまわりをウロウロしていた。
そして、そのすぐ近くで、ジュリアンの助手のジダとドライバーのサイードが小さな絨毯を広げ、礼拝をしていた。メッカがある西の太陽が沈もうとしている方角に。彼らはムスリムだとすぐにわかる。
ボスのジュリアンはクリスチャンだ。
翌日の夕方、ウジラからモラへ向う道中、教会に大勢の信者が集っていたが、アタシたちのバスを見つけるや、みんなにこやかに眺めているだけだったが、それを見てジュリアンは、
「クリスチャンはほかの宗教と違い、行儀がよい」みたいなことをジューク混じりに言ってのけた。
カメルーンは人口の約50%はキリスト教徒で南部森林地帯や南西部グラスランドの都市部などに集中している。約20%のイスラム教徒は北部山岳地帯、ステップ地帯に多い。
いずれも外部(外国人)からの改宗・流布によるのが、実はこれらの一神教はアフリカの地が発祥なのである。
約5千前よりはじまったアフリカ大陸の乾燥化(砂漠化)が一神教の成立の産物なのである。
パリからアフリカへ空路入ったとき、眼下にあったアルジャリアのタッシリナジェール。
その地域一帯にある岩にある壁画はいずれも緑豊かな時代を反映した動物たちが描かれている。
5千年前まではアフリカ全体が緑豊かな大陸であった。
生活の源である太陽、雨、水(川)、土地の肥沃、生産力あらゆる自然の恵みのあらゆる「力」を神格化・神聖化し崇拝するので自然崇拝は多神教であることは必然である。
しかしながら、緑豊かな土地が砂漠に変わるということは、雨が少なくなり、川は涸れ谷となり、泉は干上がり、土地は農作物を生み出さなくなる。
「力」が次々と消滅し、神が宿るどころか、神がいなくなるのである。
文明の曙、古代エジプトでは、大河ナイルの恩恵により砂漠化はまぬがれ緑豊かな地であった。
しかし、乾燥化は徐々に進行し、ひとびとはナイル川を唯一崇めるのだが、その偉大なナイル川の水位の変動をもつかさどる太陽がやがて唯一神となり一神教が成立したとされる。
アフリカの砂漠が一神教を成立させたのだ。
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「ワザワザ、来るところでなかったですね・・・・・」
シャレもむなしく空回りで、「ワザ国立公園」をあとにし、ウジラへ向っている。
カメルーンは特徴ある自然・地理的条件のおかげで「プチ・アフリカ」または「アフリカの縮図」といわれる名に恥じず、ひとの多数の文化・部族ばかりか、アフリカで最も豊かで変化に富んだ動物相をもっている。
カメルーンでは熱帯性森林地帯のドゥアラ・エディア保護区、ジャ保護区など中南部に6つの動物保護区を、そして北部サバンナ・ステップ地帯にベヌエ国立公園、モコロ近郊のモゾゴ・ゴクロ国立公園など6つの国立公園をもつ動物天国でもある。
森林地帯ではゴリラやチンパンジー、北部サバンナではゾウ、ライオン、カバ、キリン、ヒョウと東アフリカ、ケニアやタンザニアばかり脚光を浴びる動物サファリであるが、カメルーンもなかなかどうして負けず劣らず動物観察天国なのだ。
サファリ、なつかしい響きでもある。
なかでも今回訪れたワザ国立公園は、カメルーンの国土が横を向いたキリンと例えるならちょうど目の
あたりに位置するのだが、17万ヘクタールの広さをもち、西部アフリカに住む動物のすべての種類が
生息しているといわれる、カメルーン最大の動物国立公園である―――。
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その後、サハラ=エジプトの外縁シナイでユダヤ教、キリスト教が、サハラ=エジプトの隣接アラビアの砂漠でイスラム教が誕生・成立したことも明白だ。
砂漠の宗教は都市型宗教ともいえる。
イスラム教を興したムハンマドもメッカの商人であったが、都市商人の交易の対象が砂漠の遊牧民で、
交易対象のひとびとを改宗してていったため、イスラム教圏はアジア・アフリカ大陸においてインドネシアやマレーシアなどの諸島部一部を除き、ほぼ乾燥地帯と分布が一致する。
カメルーン北部は砂漠化したチャドと地続きであり、17世紀、農牧民フルベ族がウシを追いチャド湖周辺までが入り、18世紀には緑豊かな中部カメルーン、アダマワ高原まで上ってきた。
19世紀はじめ、ナイジャリア北西部のハウサ族の土地で、フルベ族のイスラム教師によりジ・ハードが起こり、呼応するかたちで北カメルーンのフルベ族の首長たちもジ・ハードに加わり各地でフルベ族の農耕民ブーム族などへの征服とイスラム改宗が進み、北カメルーンは一部を除き、フルベ族イスラム勢力の支配下となった。
フルベ族はほぼ部族宗教ともいえるイスラム教徒=ジュルド(複数ジェルベ)と呼び異教徒と区別した。北部カメルーンではフルベ族のほかカヌリ族、ハウサ族、マンダラ族をジェルベと呼び、異教徒をカード(複数はハーベ)と呼ぶ。
一方、キリスト教はイスラム教が砂漠化した北アフリカの遊牧民・都市部への伝播にとどまったのを、遅れること18世紀、宣教師派遣による文化・宗教伝播活動と経済的・政治的支配の植民地化という表裏一体の政策により、ジャングル奥深く、大河からはずれた支流の小村・部族などへも伝播していった。
自然の変化とは民族そのものとも深く関わってきたのである。
マルア、モラもフルベ族が多く分布する町である。
ジュリアンがどうしてキリスト教徒なのか、また彼女の部族も聞かなかった。
フルベ族はたくさんのサレがひと集落をなすことで見てきたように一夫多妻制だ。
夫をともにする女性はそれぞれ別の妻から身を守り、富を得るためお守りのようなものを首につけ、
髪に縫い付ける。そのうえにスカーフを巻き頭も守る。このように護符を身につけることはアフリカの黒人ムスリムの特徴であるらしい。
ジダとサイードの礼拝も終えたようで出発となった。
すっかり日没となったが、ワザはまだ遠い。
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午後3時、ハーディたちが再びバスの屋根の荷台に荷物を積み終え、空港を離れる。
カメルーン航空が用意したホテルに向かうジュリアンにおねだりしてみた。
「ジュリアン、マルアから80キロも行けばミンディフだよ。ジダの故郷だよ。そこに行こうよ」
「行ってみましょう」ジュリアンは申し訳ない気持ちで一杯という表情は微塵にもみせず(そこはシビアなビジネス)、―これは予定外のサービスである―といったつくり笑顔をしてうなづいた。
「フジラの谷の木陰で―いつか、いつかカメルーンへ来たときは必ず君の生まれ故郷ミンディフへ行くよ!―って言っていたのが、まさかまさか、翌日行くことになるとは夢にも思わなかった(爆笑)」
アタシはジダを見やりながら高らかに笑った。ジダもヘッドフォンをつけたまま意味もわからず笑った。
愉快愉快―――、しかしアタシは決定的なことをまだよく認識していなかった。
「ねぇ、ジダ君、ファンタジアは見られないのかな?」
ジダは旅行者から拝借したヘッドフォンでまた音楽を聴いており放心状態だ。
そういえば、ジダは移動中ずっとこの状態だった。
ファンタジアはモロッコでは馬に乗った騎兵のアクロバチックなショーであるが、カメルーンでは少々趣が異なる。
「――ラーミードが外出するときはどうなるのでしょうか。――公式のときは、昔ながらの仰々しい行列を組んでいかねばなりません。そのときには、馬に乗ったマチュベ身分の重臣たち、馬に乗った徒足でラッパや太鼓を持ったバンバード(宮廷音楽隊)たち、徒足で剃髪姿のマチュベたちがターバンで顔を覆い、盛装をした馬上のラーミードを取り囲んで行進します。ラーミードにパラソルをかける者。馬から降りたラーミードが座るための椅子を運ぶ者、いろいろな役割を持ったマチュベたち、槍、佩刀、弓矢、鉄砲などを思い思いの武器を持って附き従うマチュベたちがラーミードを護衛しながら町中を歩きます―――。アフリカを知る 15人が語るその魅力と多様性」―アフリカのまちの人々の暮らし ウジジとガウンデレ、植民地に形成された二つの都市を訪れる― 日野舜也 「少年ケニヤの友東京支部編」スリエーネットワーク刊行 」
マルアから南下してミンディフの歯といわれる岩山がどんどん近くなる。
ステップの平原にポツンとあり、象徴的であり記号的であったが近くまできてルムシキィなどのそれと違い、その岩山の低さにがっかりした。ファンタジアの行列はミンディフでは観光化してはいるものの、もちろんそんなにすぐに間に合うはずもない。
村の中を見学させてもらい、ポットを作るところや、機織りしているところを見せてもらった。
帰り際、カメラの蓋を拾ってくれた女の子にガムを渡す約束をしていたのに、バスの中の鞄から取り出そうとしていたところドアが閉まりバスは出発し、その女の子と目が合い渡しそびれた後味の悪い思いをした。
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人気のない森のなかに突然綿市場があった。
大量に真っ白な綿が積まれ、たくさんのひとだかりであった。
そして、森や平原からときおり妖精が現れたものだ。
道中、どこからともなく子どもたちが現れ、バスと並走しながら手を振り、口々に叫ぶのだ。
「ガドゥー」と。フェリ・フォリ・マジリと同じだ。
彼、彼女たちはめずらしく、―最後まであきらめない―、というアフリカにはないような(笑)精神に満ち溢れていた。たのもしいかぎりである。
女性ガイドのジュリアンに何を言っている意味なのか尋ねる。
「北部山岳地域のキルディ族の言葉で―ちょうだい―、よ」なんだ、そういうことだったのか(笑)。
トゥルの木曜市は驚くほど盛大に開かれており、市の手前の広場でアタシは大勢の子どもに囲まれた。
道中の友好的でけなげな、かつ微笑ましい子どもたちと違い、あきらかに眼つきが悪く恐怖すら覚えた。
彼、彼女たちは一斉にアタシに向かって言う。
「ガドゥー」と。
まるでドゥアラの明け方、目覚ましがわりだったカエルのようだ(笑)。
トゥルを離れ、今日の宿泊先ワザへ向かうため、さらにチャド方面へ北上する。
道中、岩陰や草むら、森の中とところかまわず、また大勢の子どもたちが忍者のようにどこからともなく現れてこちらに叫ぶ。
ひとりの少年はバスを必死で追いかけてこれを買わないか?と叫ぶ。
緑のカメレオンだった。
アタシは思わず窓を開け、叫んだ。
少年が後に小さくなるまで叫びつづけた。
「ガドゥーーーーーーッ」と。
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カメルーンでの食事を書き記しておこう。
アフリカン・フードの主食は何といってもアフリカ共通の穀物の粉を練ったものである。
ナイジャリアやカメルーンなどコンゴ(旧ザイール)以西ではではフーフーと呼ぶ。ちなみに日本人に最もポピュラーなのはケニア、タンザニアなどのウガリである。南アフリカではパップ、ジンバブエではサザ、ザンビアではシマと呼び名や作り方なども多少各地域さまざまだが、主にトウモロコシの粉を根気強く練ったものである。日本の蕎麦がきと同じような食感だ。トウモロコシに限らず、ヤムイモ、キャッサバなどもフーフーの主要な原料だ。ちょっと発酵臭があり酸っぱいキャッサバのフーフーはガリと呼ばれる。
キャッサバを乾燥して粉にしたものを練ったある程度日持ちする黄色い餅のようなエバ。旧ザイールではクワンガと呼ばれ中央アフリカではポピュラーなフーフーだ。
ドゥアラからバフサムに向かう道中、お腹がすいてたまらなくなり深夜の路上キオスクでこれを買った。棒状にして笹のようなものにくるんで売っていた。お腹がすいていたこともあったが美味しかった。
ういろうにそっくりの食感と味である。3つで100CFA。
ちなみに、おやつがわりにこえまた路上キオスクで買った木にさしたトウモロコシ炭火焼一本も100CFAだった。
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キャッサバ、トウモロコシと同じくヤムイモも主要食材だ。ヤムイモを茹でて、餅状にしたふんわりした食感のパウンデッド・ヤム。
ヤムイモを乾燥して粉にしたものを練った茶色い餅のようなアマラ。
米や小麦粉で作ったフーフーはセモビタと呼び、日本人にも食べやすい餅そのものだ。
これら、総称してフーフーを肉の切れ端などが浮かんだスープと一緒に手で巧みにまるめて口に運ぶのが正しい現地の食べ方だ。
おかずが一品あればまだましなほうで、家庭ではフーフーだけの食事というのが一般的だ。ソジャというきなこ、醤油、そして砂糖などをつけたり、カランガというピーナッツのペーストをつけて食べたりする。
ほかに主食では甘くない食用バナナをスライスしてヤシ油で揚げたプランテン。
これらの主食におかずを一品つけるのが家庭料理でも食堂でも定番だ。国民の20%いるムスリム以外は肉に関してタブーはない。
食堂だと、鶏、羊、牛、腸などのモツ、魚など材料を選び、基本的な味つけを選ぶ。
オクラやモロヘイヤなどを細かく刻んだネバネバ系のスープ、オクロ。
そして、苦味のある青菜と一緒に煮込んだカボチャの種をすり潰したおからのようなスープ。
トマトベースのシチュウは食べやすく最も安心する味だ。
そしてカメルーンは、西アフリカと同じく米もかなり栽培されており、ごはんも一般的だ。
ごはんに辛い肉汁などをかけたリ・ソース(ぶっかけごはん)はドゥアラの屋台や安食堂などで最もポピュラーな食べ物だ。
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「さあ、飽きるほど動物を見よう〜〜」
ワザ国立公園に隣接した、広大な敷地に点在したコテージ(こちらはルムスキィどころか、丘の上にレストランなどの本館があり、アタシのコテージは最も遠い麓の入口近くのコテージだった<涙>)を時間をかけて何往復もしたのだ。
今日一日はバスのなかでゆったりまったり動物ウオッチングといきましょう。
しかし、早朝6時30分、スタート―――。
正午過ぎて12:30分。
約6時間の間で見たのは枯れたブッシュと、道よりかなり遠くのブッシュにトピ数匹、アンテロープ(コープ)、そして赤アカシアの木にペリカンやアフリカハゲコウ(マラブー)・・・・・・・これだけなんですけど・・・・・。
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ホテルに戻り、ワザの大平原を一望に見渡すことができるレストランのテラスで昼食。
キャベツのサラダにナマズのフライ、そしてジャガイモの煮込み。
そして、休息をとったあと、ケニアと同じく日没前のサファリ。
「こんどはたのむでぇ〜」とワザ国立公園専属のレインジャーにハッパをかける。
しかし、約3時間、レインジャーが指示する道行けども、サイードが運転する我らがバスの車中みたのは、トムソンガゼルの行列、一匹のジャッカル、イポットラー・アンテロープ、車の音にびっくりして森の中に逃げて行ったキリン・・・・・・・以上である。
月夜のサバンナをホテルに帰る車中、皆ついにだまりこんでしまった。
「今度来たときはたのむでぇ〜〜」
最後部席でふんぞりかえっていたアタシは誰に言うでもなく嘲笑をこめて叫んだ。
車中は冷ややかな笑いが洩れたのみだった―――。
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日中の一番暑い盛りに無為にときは過ぎていく。
アタシはこれまでよく知らなかったジッダとしばらく話をした。
彼は片言ながら英語が喋れるようだ。お互いが片言の英語というのは、一番コミュニケーションがとれるというものだ(笑)。
彼はマルア北の近郊ミンディフ村の出身だ。今彼はマルアでひとり暮らしだが、機織をする母親が顕在で幼い弟や妹も暮らしており、彼は8人兄弟の長男らしい。
ミンディフは、祭礼ともなると色とりどりの民族衣装の騎士たちが、馬に乗ってファンタジアを行う。
モロッコなど北アフリカでおなじみのイスラムの祭だ。
ヒデ族はフルベ族を馬に乗った民、という意味のプラサルと呼ぶことに頷ける。
ジダは、ミディフの観光パンフレットをアタシにくれ、ドイツ人、カナダ人など多くの旅行者が訪れ、彼の実家に宿泊したときの写真を交えその様子を楽しそうに話してくれた。
彼の実家のすぐ裏には「ミンディフの歯」と呼ばれる岩山があり、ロッククライマーに人気のスポットらしい。彼は誇らしげにそのことをアタシになんとか伝えようとし、ぜひミンディフへと誘われた。
「いつか、いつかカメルーンへ来たときは必ず君の生まれ故郷ミンディフへ行くよ!」
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言葉について少し尋ねた。このフジラの子どもたちの話す言葉はジダにも全然わからないらしい。
彼にミンディフの言葉を少し教わった。
「おはようはジャンバルナ、ありがとうはウセコ、すみませんはセーファン、ごめんなさいはミソミ、
ママはジャヴァン、美しいはボドゥン、お金はファンドゥラン、水はリアム、こんばんわはホシラリジャマ、さようならはセイエリ―――」こんなところだ。これくらい知っていればコミュニケーションは成り立つ(笑)。あとはメシぐらいか(笑)
「もうとっくにお昼過ぎてるんですけど(苦笑)」
彼は真顔に戻り、慌ててバスに行って籠を持ってきた。
そこから取り出したポットのお湯で、即席の「LIPO」という甘い甘いコンシデレンスミルクのサービスを受けた。あんまり好みではなかったがそれを飲み干した。
そして、木陰で遊んでいる子供たちやジダから離れ、再びスケッチにとりかかった。
村は岩山に囲まれた谷にあたり、家々はところどころ点在する。サレに似ているがそれぞれが独立した家だ。むしろブルキナファソなどのモシ族の家に似ている。
緑はアカシアのほか、真っ直ぐのびた数本のパルメイヤヤシ、そして、柱に扇子をつけたような、旅の木に似た形をしたユーフォルビア・インゲスというサボテンが家のある谷や岩山に点在している。
大きな実をつけた葉も多い、幹が松に似た木に赤と青色のトカゲがいる。はじめて見る種類だ。さきほどのモラのドライブインでもこれとは違う灰色一色だった。
カメルーンはほんとうに色々な種類のトカゲがいるものだ。
スケッチを終えて、顔をあげると太陽の軌道は頂点からだいぶ西に傾きかけていた。
今日も快晴だ。明日にはもう北カメルーンを離れるときがやってくる。
子どもたちが遊ぶ歓声がとてもなつかしい気にさせられる。
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――――ルウェンゾリ山の氷河の雫から始まり、悠久からとうとうと流れる大河、ザイール川。
それを取り囲む、西ヨーロッパがすっぽり入ってしまうほどの濃緑の原生林。
その圧倒的な自然のなかで、人々は蠢き、慟哭し、欺瞞に満ち溢れながらも、その自然に溶け込みながら暮らす人々の顔もある。ジャングルに忽然と蜃気楼のように姿を現す熱気と混沌の大都市、キンシャサ。アフリカ大陸がこよなく愛する、リンガラ音楽が街中に溢れ、通りという通りでは、ベルギー仕込みのPURIMUS BEERの栓が抜かれ、その音までもが、リンガラの音色を彩る。うだるような日中に、明日食うものすらありつけない様でも、無邪気で素直で屈託のない笑顔だってある。男も女も老人も子どももおばさんも物売りもこそ泥も不具者も、踊って一日を終える。明日も踊って暮らす。それもザイールの顔だ。ザイール川下流部にあるキンシャサ。人口450万人にのぼるアフリカのパリと謳われたビジネス街の栄華も、度重なる内乱と暴動で、廃墟同然のビルも連なり、その面影を偲ぶことすらできない。 しかし、ダウンタウンの町、マトンゲ地区は対照的に熱気に満ち溢れている。カサブヴ通りとビィクトワール通りが交差する通称ビィクトワール広場は最も華やかで賑やかな中心地だ。 日暮れ時ともなると、ビィクトワール広場には様々な屋台が軒を連ねる。キャッサバを練って蒸したフーフー。キャッサバの葉を杵でついてから魚や肉の出汁で煮込んだポンドゥ。豆を煮込んだマハラギ。キャッサバを蒸した餅のようなクワンガ。これをソジャ(きなこ)と砂糖、魚醤をつけたり、カランガというピーナッツのペーストをつけて食べる。刻みネギをすり込ませて焼いたアジ。ナマズ。フランスパンのサンドイッチ。濃厚な味のゆで卵。キャッサバの葉をくるんで蒸し焼きにしたモツの煮込み。肉の串焼きともなると千差万別だ。牛、鶏、カモシカ、ワニ、カバ(!)、野ネズミ、オウム、チンパンジー(!)、ゴリラ(おいおい!)、なんと国の象徴でもある珍獣オカピまで!!!!!!!サルの燻製はマカコと呼ばれ、日常食だ。 それらの屋台のあちこちからモクモクと煙が立ち昇り、裸電球に飾られた路地は一種の日常のなかの「ハレの日」となる。 -
路地という路地からリンガラ音楽が流れる。そして、人々は各々好みの食を買い込み、バーへ向う。バーといっても路地のいたるところに並べられた椅子があるだけだ。しかも、メニュウは冷えてない例のビールのみ。ここで大音量の最新のリンガラ音楽が流れる。最近では、出稼ぎによるパリ経由のリンガラのほうが人々の憧れであるようだ。そのうち、誰彼となく、お気に入りの曲に合わせて踊り出す。通行人も、物売りさえも加わり、いつしか聖なる夜にかわるのだ。こうして、今晩も明日の晩も、祭りの夜が更けていく――――。
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早朝、バフサムを出発する。
朝日がまだ昇らないうちにフンバンへ向かいスルタンの宮殿跡博物館を見学し、急ぎバフサムに戻り荷物をまとめてバンジュン村、バロンビ湖と昨日周れなかったコースと今日予定のコースを一日かけて急ぎ足で巡るそうである。
しかも今夜はドゥアラまで帰り、パリへ向けて旅立つ日だ。
密林に覆われた辺りは重ねるように朝靄がかかり、薄闇の西の空が明るみ出す頃に今日がとても晴れた朝だということがようやくわかってきた。
昨日ドゥアラから5時間かけて走ってきたグラスランドは高原地帯でありながらも北カメルーンとは明らかに違う植生豊かな地帯だ。
ガソリンスタンドで給油をしていると、小型トラックが隣に滑り込んできた。
荷台にはわんさか子どもが乗っている。
「今からバナナ園でバナナの収穫をするためかき集められたのだ」とバレンタインが説明してくれた。
本当に赤々とした赤土と小さな形も様々で色とりどりのモスクが印象的な道のりだった。キャッサバ畑や松林、ナツメヤシ、パレミアヤシなど飽きることのない景色だ。
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山から太陽が昇りはじめ、約1時間でフンバンに着いた。
道沿いは青と水色の制服を着た小学生が大勢登校している。
そんな朝早くに、アフリカのポレポレ精神の世界でよくぞ博物館が開いているものだと感心し、一方で学校へ通う子もいれば、バナナ園に送り込まれる子どもたちもいるのだ、という現実を考えさせられた。
フンバンはバムン族の町である。
カメルーンのグラスランドには大小様々な規模のマンコンと呼ばれる王政社会があった。
マンコンはフォンと呼ばれる王に統治され、とりわけバムン族は部族間の統合もはたして、王政部族国家ともいうべき集権社会を形成していた。
そのかつての首都がフンバンにあり、各部族内のフォンを統治したムスリム風にスルタンと呼ばれる王が住んでいた宮殿が現在博物館として開放されている。これまで見てきたカメルーンの部族の宮殿は、王宮といえども民家と変わらぬ小屋同然であったが、ここスルタンの王宮は3階建ての大きな家だ。
13世紀から統治した王、バムン族の歴史やバムンの伝統的工芸や仮面が多くあり、バムン族ひいてはグラスランドを知る上では貴重な博物館といえる。
この王宮があったフンバンをはじめバムン族が住むのはグラスランドでも山間部に位置し、この博物館をまわっただけでも、バムン族は戦闘的な戦士という印象があるが、そのとおりドイツがグラスランド山間部に侵攻してきたき、勇敢に戦ったという伝承が残っている。
しかし、バレンタインの説明によると、1902年、ドイツがフンバンに到着したとき、当時のバムン族の王ジョヤは威厳をもって接見し、ドイツ軍と交易などについて平和的なうちに交渉したというほうが正しいらしい。
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呪いがあったのか、なかったのか。アフリカに長く続く勝利の儀式は、W杯でも不気味な影を落すことになりそうだ。呪術はアフリカでは生活に深く浸透しており、サッカーとのかかわりも当然のように大きい。チームの勝利を願って、動物の血を体に塗ったり、相手シュートが外れるように祈りをささげる。また呪術師がチームドクターとして帯同し、選手が負傷すると祈りで治療を行うこともある。1990年のW杯イタリア大会ではカメルーンが開幕戦で前回優勝のアルゼンチンを破る大波乱を演じたときも選手が「祈りが通じた」と一部で呪い効果がささやかれた。
しかしこのネガティブなイメージをぬぐい去るため、アフリカ連盟(CAF)は今大会での、呪術を禁止した―――。
相手を不幸に追いやるため、相手からの呪術から身を守るため、いたちごっこの呪術合戦に歯止めをかけた。そもそも人間の勝手のために生贄になる小動物の命も救われた。黒魔術とは、他人を傷つけたりするなど攻撃的な呪文を中心とした呪術だ。悪魔を召喚して契約を行い、願いをかなえる代わりに悪魔に代償を払う。悪魔と契約することから、魔術をかけた本人も生命にかかわる危険を伴うといわれる。
フランスとの親善試合を終え、パリから帰国するカメルーンチームと同じ飛行機だったこともあり、またアタシが滞在中ザンビアとのW杯予選大会をヤウンデで戦うこともあり、すっかりカメルーンびいきとなった。
しかし、アタシはフランスの、シャンパンのようにはじけるファンタスティックなサッカーが世界一好きだ(笑)。
おしむらくば、もっともっと体力と規律とを持ち合わせて、本来持つイマジネーションある芸術的をさらに高度なものにしたサッカーでアタシ(たち)を魅了して欲しいと願う。
そのフランスは前回のフランス大会に次いで2連覇がかかっていたが、日本韓国W杯本大会では、ものの見事に予選落ち、おまけに不屈のライオン、カメルーンも予選落ちという、ファンタジアであった(涙)。
なにかに、なにかに呪われていたのだ。
それが一体誰なのか?
アタシは、マルアからルムシキィに向かう途中下車し、夕焼けに映えた平原のなかで悠々と一本のバオバブの幹の裏にまわりを散策していた―――。
バオバブは太古から神が宿る木として崇められてきたそうだ―――。
アタシはその幹元に放水(尿)したことをフィードバックしていた―――――。
私たちは、気づかないでいるけど、いつも何かに繋がっている。
かと、思えば、実は何にも繋がっていなかったりもする。
偶然というカタルシス、それがいつも「何かを物語る」ということは振り返ってみて初めてわかるような仕組みになっている。
そして、旅の終わりはいつもいつもセンチになる。
おしまい
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