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 磐田歴史ウォーク-霊犬太郎、見付学校、埋蔵文化財センター-

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三毛猫美花さん 写真

三毛猫美花さん
男性
磐田・豊田の旅行記 : 1
旅行時期 : 
  • 2011/12/27 - 2011/12/27
  • (約5ヶ月前・1日間)
エリア : 
静岡県>掛川・袋井・磐田・御前崎>磐田・豊田
テーマ : 
歴史・文化・芸術
投稿日 : 
2011/12/29(約5ヶ月前)
写真 : 
83
コメント : 
0
交通手段 : 
  • 現地移動 :  JRローカル
一人あたりの費用 : 
  • 旅行費総額 : 1万円未満
同行者 : 
一人旅
手配内容 : 
個別手配

磐田歴史ウォーク-霊犬太郎、見付学校、埋蔵文化財センター-

出張で関係会社へ公共機関を使って、監査に行きます。今回は磐田駅。いつもならタイトル通り歩くところ、今回は磐田ですので電動自転車を使って、午前中の2時間で歴史探訪します。
先日TVで南極物語が最終回でした。1983年の映画では涙なしには見れませんでした。南極物語のタロウと同じ「太郎」が磐田にいます。700年前の「太郎」を探す旅です。

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    磐田駅はもう20回以上出張で来ています。初めて訪れたのが2007年でした。会社のある刈谷からいつも在来線で来ます。

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    もちろんジュピロ磐田の本拠地。あのワールドカップの涙のPK駒野さんのホームグラウンドです。

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    駅の北側には商店街があります。

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  • 磐田・豊田 写真

    出張で宿泊したホテルの1階に観光案内所があります。ここでパンフレットを入手し、今回歴史ウォークを敢行しました。

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  • 磐田・豊田 写真

    今回生まれて初めて電動自転車に乗ります。もちろんジュピロ磐田の母体であるヤハマ発動機さんの製品です。4時間で200円。利用してたいへん良かったです。

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    磐田は古代国府が置かれた場所です。そのため古墳が多く点在しており、磐田駅付近にも残っています。

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    このような古墳を発掘調査して、出てきた文化財を展示・研究する、これが日本人の歴史を探る最短でベストな方法です。
    天皇陵を全て発掘禁止にしている宮内庁とは真逆ですが。

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  • 磐田・豊田 写真

    次に国分寺にやってきました。

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  • 磐田・豊田 写真

    まだ発掘調査も続いている遺跡です。この国分寺も衰退したようですが、三河国分寺とは異なり、別の寺が継続したそうです。
    衰退した理由はご承知のように、ジコチュー藤原氏の荘園制度による国家財政の破綻です。ジコチューで陰険な藤原氏は私腹を肥やすことしか歴史に名前をとどめていません。

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  • 磐田・豊田 写真

    先日発掘説明会があったそうですが、各地で国分寺の調査が進んでいます。
    三河の国もしかりです。

    参考:古代寺院ツアー-北野廃寺、真福寺、三河国分寺・尼寺・天平の里資料館-
    http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10593421/

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  • 磐田・豊田 写真

    国分寺の前に府八幡宮があります。

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    国守「桜井王」が建立した神社です。
    参考:桜井王(インターネットより)
    父母等は未詳。『新撰姓氏録』によれば敏達天皇の孫である百済王の後裔。
    天平三年(731)一月、従四位下。天平十一年(739)四月、兄高安王らと共に大原真人を賜姓される。以後は大原真人桜井を名のる。天平十六年(744)二月、安積皇子薨後、恭仁京留守官。この時名は大原桜井と見え、大蔵卿。天平年間、遠江守の職にあり、聖武天皇と歌を贈答している(万葉巻八)。六人部王・門部王・佐為王らと共に、神亀年間、聖武天皇の「風流侍従」をつとめる(『藤氏家伝』)。

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  • 磐田・豊田 写真

    天平時代と読んで、すごく歴史を感じます。
    ましてや私腹肥やし藤原氏と戦った聖武天皇派です。ますます親近感を感じます。

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    ところで天平時代の桜井王が建立した神社、誰をおまつりしているのでしょうか。

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    仲哀天皇、神功皇后、応神天皇です。つまり夫婦と子供です。
    国賊歴史学者は、毎度お馴染みのように、応神天皇は認めますが、その父親の仲哀天皇は認めません。「神話の時代で、決して事実ではない」とほざく始末。
    ましてや韓国に媚びた売国奴歴史学者は、絶対神功皇后は認めません。応神天皇は、どうやって生まれてきたのでしょうか?

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    そもそも天平時代の桜井王が「実在した」と信じたのが、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇です。だから神社を建立したのであり、自分の偉大なご先祖様なのです。
    北朝鮮みたいな捏造で偉大な「領導者」としているのと全く違います。
    ましてや「騎馬民族征服論」や「河内王朝説」などと空想のガセを主張する国賊歴史学者には、桜井王と応神天皇のつながりを理解できないでしょう。
    桜井王へと仲哀天皇から血統は続いているのです。

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    次に訪問したのが、「淡海国玉神社」です。

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    平安時代に記録されている由緒ある神社です。

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    祭神は大国主です。
    そうです、出雲系の神です。

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    何故平安時代以前から、この遠州で、出雲系の神が祭られていたのでしょうか。
    もちろん国賊歴史学者は答えてくれません。
    素直に考えれば、「大国主」の名前のように広大な支配者だった・偉大な支配者でリスペクトが得られていたと考えるのが普通です。

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  • 磐田・豊田 写真

    神社のとなりに見付学校があります。1875年に建てられた学校です。

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    明治維新後たった7年で学校が建設され、先進国に追いつけ・追い越せが始まりました。

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    今の現代日本では学校に行くことが当り前になっていますが、明治7年では学校に行ける人は限定的でした。

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    現代日本では、高校の教科書が使えない高校や大学があります。
    つまり高等学府や最高学府たる高校・大学のレベルに耐えれない生徒・学生がいます。

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    なぜそうなってしまったのでしょうか。
    それは学歴社会が生んだ弊害の進学率です。高い進学率と比例して、粗悪な教育機関が増加しました。

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    粗悪な教育機関へも税金で補助がされています。
    国家財政破綻前の日本で、必要でしょうか。
    必要なのは、道徳教育でしょう。
    「車内では携帯電話はマナーモードにして通話はお控えください。また優先席付近では電源を切ってください。」というアナウンスを守る人間をいまだかつて、一度も見たことがありません。
    今や一億、道徳失墜状態です。

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  • 磐田・豊田 写真

    誰が、優先席で携帯の電源を切らない日本人を作ってきたのでしょうか。
    一億、全てです。

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  • 磐田・豊田 写真

    それとも電車の案内は「形式的」で儀式なのでしょうか。それなら、やめたら。
    それとも言葉にすれば、守ってもらえるという「言霊」教でしょうか。

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    私が持っていた、アルマイト弁当箱や裁縫箱、タイプライタが展示される時代になりました。

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    小学校の卒業文集は、この「ガリ版」で印刷されました。

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  • 磐田・豊田 写真

    三毛猫がいました。

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    普通ひざの上に載ってきますが・・・

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  • 磐田・豊田 写真

    南極物語でも、オスの三毛猫タケシは、守神として、隊員と行動をともにしました。
    昭和基地では、高圧電線に触れて、瀕死の危機があったそうです。

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  • 磐田・豊田 写真

    この「石けり」がわかる人はいますかね。

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    ボタンひとつでなんでもできる便利になった現代ですが、つい最近まで智恵と労力がないと生活できませんでした。

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    今やキャンプ用になってきました。

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    次に見付天神に来ました。

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  • 磐田・豊田 写真

    矢奈比賣神社とも呼ばれています。
    矢奈比賣とは誰でしょうか?
    見付天神祭が「矢奈比賣が大国主を祭る淡海国玉神社へ渡御する際に行われる祭」とあることから、全国各地に恋人がいた大国主の恋人の1人だったと想像します。
    もちろん国賊歴史学者には馬耳東風ですが。

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    今回の最大の目的、霊犬太郎に会えました。

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    正式名は「悉平太郎」です。「ことごとく平らげる太郎」で、信州駒ヶ根市の光前寺から怪物退治に来ました。信州では「早太郎」と呼ばれています。
    700年前の伝説が、信州と遠州にあること自体、事実があったのです。
    この太郎、怪物を退治したあと、信州駒ヶ根市の光前寺へ帰り、絶命しました。まるで南極物語のリキみたいです。

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  • 磐田・豊田 写真

    入口に住吉神社があります。なんででしょうか。
    素直に考えれば、海を自由に行き来した豪族が古代いたことを証明しています。
    もちろん国賊歴史学者は無視ですが。

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    スサノオの3人の娘を祭った神社や住吉神社こそ、海への畏敬を持つ日本人の宗教なのです。

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    見付天神に来ました。

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  • 磐田・豊田 写真

    なんで天神様なのでしょうか。
    奈良なら「矢奈比賣」と言っても通用しますが、遠州では「?」なのでしょう。だから後世で天神信仰と合体したのでしょう。

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    願いかけ牛にオス、メスがあるとは・・・

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  • 磐田・豊田 写真

    天神信仰、平安時代の日本人にとって、強烈な衝撃を与えたのでしょう。それほど陰険藤原氏への怨念が具体化したということです。人を落としいれることが得意な性悪藤原氏、怨霊を生んできました。

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    霊犬のお守りです。

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  • 磐田・豊田 写真

    我が家の猫5人のため、購入しました。

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  • 磐田・豊田 写真

    境内には氷室神社もあります。
    祭神はまたまた出雲系です。

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  • 磐田・豊田 写真

    大国主やその子供の言代主、協力者の少名彦が祭られていること、まさしく大国主が広大な支配地を治めていたと言えます。
    つまり「全員存在したということ」です。
    「神話でありけっして事実ではない」とほざく国賊歴史学者とは、正反対ですが。

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  • 磐田・豊田 写真

    このような高台に作られた神社、それも古代からある神社、空想でつくられているはずがありません。
    なんらかの事実があったから、つくられたのです。

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  • 磐田・豊田 写真

    700年前の「霊犬太郎」伝説も同じです。
    インターネットも携帯もない700年前に信州と遠州で本当にあった話が元になっているのです。
    全部事実ではないのは当り前です。「けっして事実ではない」という国賊歴史学者のような「オツム」では、なにも説明できません。

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    国分寺や国府、古墳の出土物が保管・展示されている埋蔵文化財センターに来ました。

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    三遠式銅鐸です。つまり三河と遠州は一体だったということです。

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    「実物は国立博物館」なら、国立博物館は国立らしく、時代の特定くらいやったらどうでしょうか。
    日本書紀にすら「珍しいもの」と書かれており、神武天皇以後の大和朝廷では使われていないものです。
    つまり出雲系なのです。

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    縄文土器です。

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    愛知県の弥生土器と一致する弥生土器です。
    やはり三河・遠州が一体だった証明です。

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    土器には地域の特長が出ます。

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    マンガがあり、わかりやすいです。

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    九州とは違い、鉄器が行き渡っていなかったのでしょう。

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    石包丁の使い方、初めてみました。

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    出雲で発見された大量の銅鐸を埋めた時代、銅鐸信仰が終わったことを意味します。それが神武東征なのか、大国主の国譲り(天孫族による出雲征伐)なのか、時代の特定がまだできていないのが、日本の考古学です。

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  • 磐田・豊田 写真

    「騎馬民族征服論」なんて空想する国賊歴史学者の大好きなはにわです。

    岡崎の古墳から出たはにわが立派です。

    http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10496063/

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    顔は空想のようです。

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    磐田駅にも飾ってました。

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    須恵器です。穴のあき方が、伽耶らしい穴です。

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    伽耶との共通性を感じます。

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    これは初めて見ました。韓国ではありません。
    韓国に媚びる売国奴歴史学者のような「なんでもかんでも朝鮮半島から伝わった」という説は通用しません。

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    鳥、まさしく伽耶、それも金海です。

    参考:金海国立博物館

    http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10471447/

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  • 磐田・豊田 写真

    古墳時代初期から埋葬される副葬品です。
    国賊歴史学者のように突如「騎馬民族」が来襲して、政権交代したのではありません。

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  • 磐田・豊田 写真

    勾玉、3種の神器にもなっています。
    古代朝鮮半島へ輸出していました。それも新潟産の翡翠で。
    「なんでもかんでも朝鮮半島から伝来した」というのは、おかしいのです。

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  • 磐田・豊田 写真

    残念な展示、「卑弥呼の鏡」です。
    なんで古墳時代中期の古墳から出る鏡が卑弥呼の時代なのでしょうか。
    それも「100枚もらった」という展示つき。
    既に100枚を大幅に突破していますが・・・

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  • 磐田・豊田 写真

    馬具です。

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  • 磐田・豊田 写真

    遠州国府時代です。桜井王の時代ですね。

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  • 磐田・豊田 写真

    一方古代は、成務天皇(仲哀天皇の前)時代に国造が任命されました。国賊歴史学者はありえないと否定しますが。
    遠淡海 (トオツアウミ) 国造(静岡県浜松市周辺)は物部連の先祖の伊香色雄 (イカシコオ) 命の子の印岐美(イキミ)命、
    参河(ミカワ)国造(愛知県三河地方)は物部連の先祖の出雲色大臣(イズモシコオノオオオミ)命の五世の孫の知波夜(チハヤ)命、
    久努(クヌ)国造(静岡県袋井市磐田市の中間)は物部連の先祖の伊香色雄 (イカシコオ) 命の孫の印播足尼(イナバノスクネ)、
    珠流河(スルガ)国造(静岡県富士川下流、富士市・沼津市・裾野市)は物部連の先祖の大新川(オオニイカワ)命の子の片堅石(カカシ)命、
    伊豆(イズ)国造(静岡県伊豆半島)は物部連の先祖の天御桙(アメノミホコ)命の八世の孫の若建命(ワカタケ)命、
    全て物部系です。古墳時代の支配者は物部系だったと言えます。

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  • 磐田・豊田 写真

    古代寺院の瓦です。三河の北野廃寺と似ています。

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  • 磐田・豊田 写真

    国分寺から出た土器です。

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  • 磐田・豊田 写真

    当時は海面が高く海があり、港があったのですね。
    ガセネタ環境屋は地球温暖化とほざいてますが、弥生時代も古墳時代も奈良時代も海面は今より高く、温暖でした。

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  • 磐田・豊田 写真

    甲冑の出た古墳もあります。

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  • 磐田・豊田 写真

    その古墳は前方後円墳ですが、近くに前方後方墳があります。
    前方後方墳、これまた現在の日本の貧弱な考古学のため、さっぱり研究が進んでいません。

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  • 磐田・豊田 写真

    歴史ウォークならぬ、サイクリングを終えて、磐田駅に戻ってきました。郵便制度を始めた前島密像があります。

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  • 磐田・豊田 写真

    英国に渡って、郵便制度を勉強した人です。

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  • 磐田・豊田 写真

    古代から遠州の中心地だった磐田、歴史をたっぷり味わえました。
    このような通史で歴史を学べることが大切です。大阪みたいに博物館を廃止していては、日本人のアイデンティティを消失してしまいます。
    日本人が古代からどう生きてきたか、また、どんな伝説や歴史が郷土にあるのか、これを教育しないで、日本人として名乗れますか。

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