日本の旅 伊勢湾周辺を歩く 三重県亀山市関宿(せきじゅく)の西の追分から本陣
6位
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- 旅行時期 :
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- 2011/05/16 - 2011/05/16
- (約1年前・1日間)
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2011/07/31(約10ヶ月前)
- 写真 :
- 59枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
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- 現地移動 : 自家用車 / 徒歩
関宿(せきじゅく)は、東海道五十三次の47番目の宿場で三重県亀山市にある。
古代からの交通の要衝で、壬申の乱(じんしんのらん672年)の頃に古代三関の一つ「伊勢鈴鹿の関」が置かれた。江戸時代も、東の追分からは伊勢別街道(いせべつかいどう)、西の追分からは大和街道が分岐する活気ある宿場町だった。1.8キロの古い街並みがよく保存されていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
地蔵院(じぞういん)は、西の追分近くにある真言宗御室派の寺院で本尊は地蔵菩薩。
正式な寺号は宝蔵寺(ほうぞうじ)だが一般には地蔵院と呼ばれており関の地蔵、関地蔵院とも称される。
741年行基(ぎょうき、668−749年)によって創建されたと伝えられ806年、最澄の弟子により宝蔵寺という寺号で創建されたといわれており日本最古の地蔵菩薩、境内の本堂、愛染堂、鐘楼は国指定重要文化財だ。
(写真は地蔵院)
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関宿高札場の光景。御茶屋御殿の街道に面した位置にあった。郵便局前が「高札場跡」で、往時の高札場が復元されている。関宿の高札場は、関宿中町北側(現関郵便局)にあった。当時この敷地は、「御茶屋御殿」と呼ばれ、江戸時代初期のおいては本陣の役割を果たす施設だったが、関宿に本陣が置かれてからは、亀山藩の番所などが置かれていた。
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関宿高札場の説明。関宿高札場は、御茶屋御殿の街道に面した位置にあり、街道に面した間口11間余のほぼ中央に、枡形状の土塀に囲まれ、高札場の建設、高札の付け替えなどは亀山藩が行っていた。「東海道宿村大概帳」によると、関宿高札場には8枚の高札が掲げられており、その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定などであった。
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関宿の旅籠玉屋。「鶴屋」「会津屋」と並んで、関宿を代表する大旅籠だった。「関まちなみ資料館」との共通入場券(300円)で見学できる。
玉屋の開業時期は寛政12年(1800)の宿場絵図には代々襲名の理右衛門の名が記されており、既にその当時にはここで旅籠を営んでいたと考えられている。
東海道に面した主屋は、慶応元年(1865)築の木造二階建で、外観は関宿に多い二階を漆喰で塗り籠める形式で、江戸期の建物としては特別軒が高く、屋号に因んでの宝珠を形どった虫籠窓が特徴的と言える。
入口には大福帳を前にした番頭(蝋人形)が座り、二階には布団を敷き食器を並べた、江戸時代その侭の旅籠風景が再現されており、坪庭もあって奥行きが深い。奥には蔵があり、年4回展示替え(広重の浮世絵など)を行っている。主屋の他に、離れ・土蔵・納屋の4棟の建物があり、旅籠当時の建築物が一体的に保存されている。
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