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 豊田歴史ウォーク-郷土資料館、七州城-

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三毛猫美花さん 写真

三毛猫美花さん
男性
豊田の旅行記 : 3
旅行時期 : 
  • 2012/01/22 - 2012/01/22
  • (約4ヶ月前・1日間)
エリア : 
愛知県>豊田・瀬戸・香嵐渓>豊田
テーマ : 
歴史・文化・芸術
投稿日 : 
2012/01/28(約4ヶ月前)
写真 : 
71
コメント : 
0
交通手段 : 
  • 現地移動 :  私鉄 / 徒歩
一人あたりの費用 : 
  • 旅行費総額 : 1万円未満
同行者 : 
一人旅
手配内容 : 
個別手配

豊田歴史ウォーク-郷土資料館、七州城-

豊田市にも古墳があり、大塚古墳からはすごい出土品があります。今回自分の目で確認するため、歩きました。
結論は「韓国中央博物館の展示品より巨大ですごい」です。
なぜ韓国の国威をかけた展示品より、三河の地方の一古墳からの出土品の方がすごいのでしょうか?
韓国の3国国王級の富を持っていたのが三河の一領主であると言えます。
ましてや宮内庁発掘禁止古墳からは、ケタ外れの出土品が出ること確実です。

同時に豊田市近代の産業とくらし発見館で開催されていました「白瀬日本南極探検100周年記念プロジェクト」の展示会も見学しました。その展示会は以下の旅行記にまとめました。
http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10639596/

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    正月休みで太り、ダイエットのためウォーキングします。ただ歩くだけでは能がないので、豊田市の郷土資料館へ見学に行きます。

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    豊田市ですが、名古屋の地下鉄も乗り入れています。

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    昔はSOGOでした。今は松坂屋です。

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    駅前の「繁華街」です。

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  • 豊田 写真

    昔の街屋もあります。

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    駅から歩いて3分でも、このような寺もあります。

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    挙母神社の参道です。

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    挙母神社の牛様です。霊力を感じます。

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  • 豊田 写真

    挙母神社の歴史はインターネットで以下のように出ています。
    「1189年源義経の家臣である鈴木重善(善阿弥)が奥州の義経のもとに向かう途中、義経が死んだと聞いてこの地に留まり、その後大和吉野より「子守明神」を勧請して祀ったと言い伝えられています。」
    先日NHKの歴史番組で弁慶を「僧侶」と言ってましたが、とんでもない歴史誤認です。「僧兵」であり、立派な「戦闘員」です。今の感覚でしか歴史を見れないNHK,受信料を払いたくありません。

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    お猫様もお二人いました。そのうちの白黒さんです。

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    ウォーキングコースも整備されています。

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    ウォーキングコースの中の公園です。

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    郷土資料館に来ました。駅から歩いて10分もかかりません。

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    明治40年建築の土蔵を移築しています。矢作川の氾濫があり、石垣があります。

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    縄文時代の寺部遺跡のどんぐり貯蔵庫です。

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    土器や土偶です。

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    縄文時代の日本人の精神世界がわかります。

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  • 豊田 写真

    当時の石器は「下呂石」が主でした。
    なぜ豊田市に「下呂石」が多く運ばれているのでしょうか。日本のステレオタイプ歴史学者は答えてくれません。なにせ彼らのオツムは「縄文時代は狩猟生活で交易はなかった」という固定観念です。
    しかしまともな歴史学者(例:安本美典先生)は「交易があり長距離を移動できた」です。これなら下呂石は流通した理由もわかります。
    ステレオタイプ歴史学者には理解不能でしょうが。

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    工事で偶然発見された銅鐸です。工事で破損しています。三遠式銅鐸で20kg。
    韓国中央博物館なら、「超国宝」でしょう。つまり韓国ではミニチュア銅鐸しか出てきません。

    参考:韓国中央博物館
    http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10440289/

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    この鋳造技術は世界に誇れる技術です。現代でもコピーを作るのに大苦戦です。
    いくら韓国が「日本へ文化を伝えた」とか「日本は韓国のコピー」とほざいても、決定的な技術力の差は否定できません。(韓国に迎合する日本国賊歴史学者も同罪)
    ましてや漢の時代にない「伽耶」のような名前をかたった国のドラマを作っていますが、魏志倭人伝くらい読んだらと言いたいです。(そんなアホなドラマを見て喜んでいる嫁です)

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  • 豊田 写真

    弥生時代の土器です。東海地方特有です。

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    「穴」がユニークです。

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    日本捏造大好き歴史学者が「卑弥呼の鏡」と称する三角縁神獣鏡です。
    卑弥呼がもらった100枚をはるかに突破してもなんとも思いません。

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    内行花文鏡です。日本最大の内行花文鏡が九州で出ています。そこが「伊都国」と言われています。
    「卑弥呼」だ、「邪馬台国」だと、日本をさんざんバカにした中華思想の中国で、珍しく「伊都国」と書かれているのは、日本最大の内行花文鏡をもらったことで理解できます。
    (それにコバンザメのように同調している小中華思想の韓国の使う「倭」も同じ)

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    豊田大塚古墳、これが本日の目的です。

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    大和朝廷の象徴、円筒埴輪も出ています。

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    日本人の得意技の作り変える技術です。韓国のコピーするだけの技術とは違います。

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    国賊歴史学者が主張する朝鮮半島から伝来した須恵器です。当時高句麗王ですら朝鮮半島の南半分は日本がいたと記録しています。

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    愛知県最大の子持ち勾玉が出ています。

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    本日の目的大塚古墳の出土品です。30mの円墳ですら、充実しています。ましてや宮内庁発掘禁止の巨大古墳には、想像を絶する埋蔵品が眠っているでしょう。

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    日本奇天烈歴史学者に「騎馬民族征服説」がありました。

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  • 豊田 写真

    元寇ですら、九州に上陸して基地を作れませんでした。
    一方日本は大和朝廷の朝鮮半島出兵が実行されています。
    まともな歴史学者なら、どちらが「海軍」や「兵站」が優秀か理解できます。

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  • 豊田 写真

    釉薬を塗った須恵器、日本の方がはるかに進んでいます。
    韓国迎合国賊歴史学者には理解不能でしょうが。

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  • 豊田 写真

    土師器も須恵器もある、それも東海式、断じて韓国のコピーではありません。

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    日本国賊歴史学者は韓国に媚びるなら、研究費は日本国民の納税した税金でなく、韓国からもらってください。

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  • 豊田 写真

    日本で唯一の出土品です。
    もちろん韓国中央博物館にもありません。

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    巨大須恵器です。穴のあき方が新羅系です。

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    巨大須恵器、韓国中央博物館にもない大きさです。

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    平安時代の土器です。

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    戦国時代です。

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    後3年の役で源義家から三河武士伴氏がもらった鎧です。後に三河地頭になった中条氏の物になり、猿投神社に奉納されました。

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    これまた中条氏が猿投神社に奉納した太刀です。
    重要なのは執権北条氏の家紋入りです。つまり北条氏と中条氏と猿投神社の関係がわかります。

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    戦国時代今川義元が支配していた証拠です。

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    今川氏から織田信長支配になり、徳川支配になります。
    徳川の重臣渡辺重綱です。父親は伊賀出身の渡辺守綱です。

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    渡辺守綱らしい冑です。

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    歴代の殿様のハンコです。

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    幕末の挙母藩士根本氏です。勤王の志士ですが、時代錯誤のような出で立ちで。

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    挙母藩の城である七州城です。見晴らしが良かったという名前です。

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    明治40年の土蔵です。これまた矢作川氾濫対策で石垣の上に築かれています。

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    戦艦の主砲の砲弾です。

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    8世紀前半の古墳を移築しています。

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    足助街道の牛馬用水飲み場です。

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    280年前の江戸時代の庄屋の家です。

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    井戸です。

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    屋根は保護されていたとわかります。本当はわらぶきです。

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    写真撮影禁止と後で知り・・・

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    私の子供時代は各家庭にありました。

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    農家はこれで水や「肥料」を運びました。「肥料」を溜めるものが畑にありました。

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    龍馬がブーツを履くまで、わらじでした。

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    アウトドアを屋内でできるのがいいですね。

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    おはじきです。

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    メンコです。

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    湯たんぽです。今は樹脂製ですね。

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    「ランタン」です。アウトドアができる家、うらやましいです。

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    天井が高く、真っ黒になるでしょうね。

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    機織機もあります。

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  • 豊田 写真

    郷土資料館を出て街歩きします。
    キューピーの工場見学です。2名以上で見学できるとか。

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  • 豊田 写真

    七州城の説明です。

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  • 豊田 写真

    古代の国の名前が「衣」でした。
    また古代の領主は「鴨氏」、その名前が地名に残り「加茂」となりました。
    古代豪族鴨氏がいて、南に物部氏がいたこと、まさしく大和朝廷の前線基地だったのでしょう。

    参考:岡崎の物部氏
    http://4travel.jp/traveler/kanazawamike/album/10593421/

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  • 豊田 写真

    七州城です。もちろん復元です。

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    眺望が素晴らしいです。
    やはり現地現物でないと歴史は理解できません。
    豊田市の歴史ウォーク、歩いてたいへん良かったです。

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