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 磐城へ 関東と東北を分ける地

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倫清堂さん 写真

倫清堂さん
男性
いわき市内の旅行記 : 1
旅行時期 : 
  • 2012/01/08 - 2012/01/08
  • (約4ヶ月前・1日間)
エリア : 
福島県>相馬・原町・いわき湯本>いわき市内
テーマ : 
歴史・文化・芸術
投稿日 : 
2012/01/13(約4ヶ月前)
写真 : 
10
コメント : 
0

磐城へ 関東と東北を分ける地

年末年始は仕事や親戚の対応などで忙しく、休みを利用してハワイに行ったなどの話を聞くと羨ましくもなります。

しかし、忙しい合間を見ての小旅行もまたよいもの。

天気もよいので、あまり行ったことのないいわき市に行くことにしました。

今年は福島へ、毎月でも応援に行きたいと思っています。

  • いわき市内 写真

    最初の、そして最大の目的地は白水阿弥陀堂。

    建造物としては、福島県内で唯一国宝に指定されています。

    本来なら常磐自動車道や国道6号線を通って沿岸の道を進むのですが、原発事故のため通行止めの区間が多く、東北自動車道から磐越自動車道を通る道を進みました。

    3連休の中日とあって、車はそれほど多くありません。

    高速道路を約2時間、いわき湯本インターから一般道を15分ほどで、目的地に着くことができました。

    天気もよく連休中でもあるのに、価値ある建物にはあまり観光客の姿がありません。

    わんさかと人が湧いている様子を想像していたのですが、静寂に包まれた極楽浄土の雰囲気を味わうことができました。

    国宝のお堂は、触れれば崩れてしまいそうなくらい古びていますが、なんと中に上がって拝観することが許されています。

    早速中へと進んで、仏像の前で合掌すると、そこにいたお坊さんがおもむろに説明を始めました。

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  • いわき市内 写真

    白水阿弥陀堂は第78代二条天皇の御代、永暦元年に藤原清衡公の娘徳姫によって建立されました。

    清衡公は平泉に中尊寺を建てた人で、白水の阿弥陀堂ももともとは極彩色の壮麗な社殿でしたが、850年の時を経て今の姿へと変わったのでした。

    白水という地名は、平泉の泉を2文字に分けてつけたものだということです。

    説明が終わったのでもう一度合掌して外へ出て、極楽浄土を模した庭園を見て回りました。

    庭園は発掘調査に基づいて昭和41年に復元されたものです。

    平安時代の阿弥陀堂建築で現存しているのは全国で7か所。

    そのうち3か所は東北地方にあり、ここ白水の他は中尊寺金色堂と角田市の高蔵寺阿弥陀堂です。

    今回の地震によって仏像にはヒビが入ってしまったため、間もなく修復のために県外に送られるとのことです。

    阿弥陀堂にとってもきっと初めて経験するような揺れだったと思いますが、倒壊しなかったのは当時の宮大工たちの技術と、仏様の加護のおかげなのでしょう。

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  • いわき市内 写真

    次にほとんど茨城県との県境に位置する勿来関へと向かいました。

    勿来関は奥州三関の一つで、「なこそ」はやまと言葉では「来てはいけない」を意味します。

    三関のうち他の2つは、白河関と念珠関。

    白河は同じ福島県内に、念珠は山形県にあります。

    関とは言っても古代の関なので、江戸時代の関所のようなものはありませんでした。

    現在は勿来の関公園として整備されています。

    遊歩道を歩くと、勿来関を詠った和歌の碑が多く建てられており、さながら文学の道でした。

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  • いわき市内 写真

    遊歩道の入り口には八幡太郎源義家公の像。

    後三年の役の際、義家公は平定のために勿来関を通ったとされます。

    そして満開の山桜の花びらがが風に舞っている様子を見て、


    吹く風をなこその関と思へども
    道もせに散る山桜かな


    という歌を詠んだのでした。

    義家公ゆかりの地ということもあり、遊歩道の最も高い場所には小さなお社が義家公を祀っています。

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  • いわき市内 写真

    車道の脇には、義家公が弓と鞍を掛けたと言い伝えが残る2本の松がありますが、その片方は残念ながら古紙してしまい、平成9年に切断されてしまいました。

    車道から山の斜面を下った所には、義家公が弓の先端で地面を掘ったところ湧きだしたと伝えられる弓弭の清水があります。

    駐車場には倒壊して真っ二つに折れた石碑が置かれていました。

    あの大地震が原因なのでしょうか。

    そこには「天壌無窮・皇紀二千六百年」と彫られているようで、建立者は傷痍軍人会のようですが、全ての文字を確認できません。

    皇紀2700年までに原発事故が収束し、国民挙ってお祝いできるよう祈ります。

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  • いわき市内 写真

    次に向かったのは小名浜にあるアクアマリンふくしま。

    建物は大地震と大津波に耐えましたが、その後の停電によって多くの生物が死んでしまいました。

    毎日毎日愛情をこめて育てて来た魚たちが、為すすべもなく目の前で死んで行くのを見ていなければならなかった飼育員たちの無念さは、想像するに余りあるものであったことでしょう。

    極限の状態の中で、一匹でも多くの命を救おうと懸命に努力された職員のかたたちに敬意を表し、悲しみを乗り越えて復興が進むことを祈ります。

    アクアマリンを訪れると、思った以上の人出がありました。

    多くの人たちが、きっと同じ思いで応援しているのでしょう。

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  • いわき市内 写真

    多くの生物の中で特に印象に残ったのが、震災で千葉の鴨川シーワールドに避難していた母親から生まれた、ゴマフアザラシのきぼう。

    水槽を所狭しと元気よく泳ぎ回っていました。

    きぼうの水槽の前は、いつも多くの見学者で人だかりが出来ている状態です。

    アクアマリンと福島の復興のシンボルとして、これからもすくすくと育ってほしいと思います。

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  • いわき市内 写真

    日帰りなので、あまりのんびりもできません。

    最後に訪れたのは、延喜式内東北一社、住吉神社です。

    御祭神は住吉三神。

    第12代景行天皇の御代に、大臣武内宿禰が陸と海の関門となっているこの地にお祀りしたのが始まりです。

    全国住吉神社七社の一つにも挙げられます。

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  • いわき市内 写真

    車道に立つ赤鳥居は、車道が出来る以前からこの位置にあったものなのでしょう。

    車よりも神様が大事だというのは、ごく当然のことです。

    その赤い鳥居をくぐってすぐ、石でできた太鼓橋。

    社殿の城には大きな岩が点在するこんもりとした山があり、古代祭祀場の雰囲気がしましたが、実際のところどうであったかは未確認です。

    この山は磯山、もしくは蓬莱山と呼ばれています。

    また社殿の左手には龍の形のような木があり、あとで調べてみると、臥龍銀杏と呼ばれていることが分かりました。

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  • いわき市内 写真

    御本殿の周りは一周できるようになっており、そこに施された彫刻がすぐ目の前で見られます。

    現在の社殿は、江戸初期に泉藩城主内藤政晴公によって建てられたもので、県の重要文化財に指定されています。

    壁面には翁姥・四天王・花・瑞獣がはめ込まれ、柱には獅子・象木鼻・手挟などが付けられています。

    泉藩のような小さな藩が、これほど立派な社殿をこしらえたことは、特筆すべきことではないでしょうか。

    福島人の文化レベルは古代から現在まで都人にも引けを取らないことの証だと思います。

    福島は必ず甦ります。

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