584 「軽井沢銀山」 福島県河沼郡柳津町軽井沢銀山
14位
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- 旅行時期 :
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- 2011/11/03 - 2011/11/03
- (約6ヶ月前・1日間)
- エリア :
- 福島県>奥会津・只見・芦ノ牧>金山・昭和
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2011/12/03(約5ヶ月前)
- 写真 :
- 51枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
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- 現地移動 : 自家用車
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福島県河沼郡柳津町「福満虚空蔵尊《圓蔵寺》」のある町から東方向へ向かいます。軽井沢銀山の“軽井沢”とは【軽井沢という地名は、長野県以外にも秋田県大館市、千葉県鎌ケ谷市、神奈川県横浜市西区など各地に存在する。語源については、古語・方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」ということから、峠に続く谷間のことを呼んだという説や、枯井沢(水の枯れた沢)という説がある。】Wikipediaより
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柳津町中心から車の走行距離約7Km、塩野という村落にて「銀山跡は何処にありますか?」畑仕事のおばあちゃんに声を掛けました。「あそこにあるだ〜」100mくらい先に標識がありました。またやってしまった。“尋ねると近くにその場所があるものです
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軽井沢銀山跡に最後まで、おばあちゃんが一人暮らしをしていた家があります。古生さんという家です。江戸時代からの家で明治時代に鉱山事務所として使用していました。11月19日再び訪問したとき、息子さんがいわき市から訪れ家に上がらせていただき色々なお話を聞くことができました。ひと部屋20畳の部屋を見せていただきました。
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一部のブログで鉱山は囚人を使用し「囚人達が多かったようで劣悪な環境で作業を!」と載っていますが、古河市兵衛は人間的扱いを持って接したようです。鉱山には「友子」と言う、今の労働基準法、健康保険法、職業安定法、労働組合的な組織がありました。友子組織は大親分、世話人、月当番があり、親兄弟以上に深いつながりがあったようです。組織の運営は積立金でまかない、お互いの救済金で使用されました。
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友子組織は親分が死んだら墓を立て、その家族の面倒を見る。悪い事をすると全国へ流布され鉱山界から追放されました。囚人の出獄後を心配した古河市兵衛は坑内の過酷な水替えから選鉱場へ配置替えを実施。身の保全と共に毎月10日毎に差し入れと賞与を支払った。囚人には親は元気か、兄弟はどうしていると声を掛け、皆から慕われ日本一の銀鉱山を確立したそうです。
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11月19日再び訪問したときの「軽井沢」集落。2度目の訪問でした。軽井沢銀山はこの村の松本左文治が永禄元年(1558年)発見しました。「軽井沢銀山」参考文献等
【http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/efc0998335010492ddbd103f3fc5c60d】ブログ「建築をめぐる話…つくることの原点を考える 下山眞司」より
【古川市兵衛と会津の軽井沢銀山】「佐藤一男著」
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