秋雨を縫ってみちのくへ【1】〜由利高原鉄道と城下町矢島〜
2位
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- 交通手段 :
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- 現地移動 : 新幹線 / JR特急 / JRローカル / 徒歩
- 一人あたりの費用 :
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- 旅行費総額 : 5万円 - 10万円
- 同行者 :
- 一人旅
- 手配内容 :
- 個別手配
2011年は仕事が忙しく思うように旅に出られなかった。
それを象徴するような旅が9月17日からの三連休で行った東北への旅。
休日出勤を見越して計画を立てていなかったのだが、何とか仕事の目途がついたため、ストレス発散も兼ねて出かけることにした。
しかし、まったく何も考えていなかったので、15日の夜に検討開始。
大雑把に組み上げて16日の昼休みに宿と切符を手配。
ところが、午後に急な仕事が入り終電まで残業。。。
朝一番の列車を予約していたのだが、思いっきり寝坊してしまい、急遽計画を変更。
宿をキャンセルして、計画を練り直していたら時間が経ってしまい、結局家を出たのは15時過ぎ。
初日は移動日となってしまった。
二日目は、由利高原鉄道に乗り、城下町矢島を訪ねた。
矢島は、江戸時代に生駒氏が治めた土地。
訪れたのは、八森城址、龍源寺、矢島町歴史交流館、伊豆温泉、旧佐藤政忠家住宅など。
矢島は、小さいながらも趣のある街だった。
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地元の駅から大宮駅へと向かい、15:38発の『Maxとき329号』に乗車。
初めの計画では、6:34発の『とき301号』に乗る予定だったので9時間遅れの出発だ。
乗り遅れなので、自由席に座席を確保。
終点の新潟からは、17:29発の羽越本線の特急『いなほ9号』に乗り換えて終点の酒田駅へ。 -
黒沢駅は、ホームからの風景が綺麗な駅。
何かの雑誌で見かけて訪れてみたかった駅なのだ。
駅舎自体は新しいものだったが、単線に片側だけのホームがローカル線の雰囲気を強く感じさせてくれた。
花の咲くホームと秋色の田園風景に心が和む。 -
現在は無人駅で、利用する人も少ないようだ。
昔の出札窓口が、玉ノ池簡易郵便局として営業しているとのこと。
そういえば、駅の目の前を横切る矢島街道を走る羽後交通のバス停も玉の池だった。
このあたりは玉の池集落と呼ばれているのだが、なぜ駅の名前が子吉なのかは分からない。 -
子吉駅の隣では、新しい駅舎の工事が始まっていた。
今の古い駅舎は老朽化が激しく、建て替えは仕方が無いこと。
しかし、4年後の平成28年に赤字補てんが打ち切られることになったため、鉄道自体の存続がすでに難しい状況。
この新しい駅舎も、無駄にならなければよいのだが。
※旧駅舎はすでに解体されています。 -
まずは八森城址へ。
天寿酒造の向かいにあった階段を登って行くと、矢島神社に辿り着いた。
矢島神社は、初代高松藩主・生駒親正と矢島藩第13代藩主・生駒親敬を祀っているそうで、明治になってから、旧藩士や旧領民の出願によって建立されたそうだ。
となりに見えているのは招魂社。 -
八森城は、応仁元年(1467)に信州大井庄から下向した大井義久が居城とした場所で、その後領主が幾度も変わった後、寛永17年(1640)に、讃岐高松城主生駒高俊が家禄没収の上、堪忍料として矢島1万石として入り、明治の廃藩置県まで続いたそうだ。
現在は、矢島小学校の敷地となっていて、大手門のあった水掘りだけが残っている。
なお、江戸時代には矢島陣屋と呼ばれていたらしい。 -
城内大路と並行する反対側の櫻小路を辿り、途中で北へ別れる橘小路へと入ってみた。
この辺りは、家臣の屋敷が建ち並んでいた場所だが、皇子の名残は全くない。
この道の先に金刀比羅神社があったのだが、この時は気付かず立ち寄らなかった。 -
橘小路から桃小路と入ると、突き当たりに寺が見えた。
龍源寺という寺で、中世由利十二頭のひとつ打越氏の菩提寺として打越光隆によって江戸初期に開基された寺で、後に生駒家の菩提寺となったそうだ。
明治13年に再建された茅葺屋根の本堂は国の登録有形文化財だが、ちょうど修理中で観ることができなかった。
写真の山門は、平成9年に再建されたもの。
本堂裏手に生駒家の霊屋と生駒家墓所があるそうだ。 -
龍源寺を後にして、旧鶴小路、亀小路という縁起の良い道を歩いてみる。
写真の場所が古地図では鶴小路と亀小路がT路となっているのだが、実際には曲がり角になっていた。
コスモスが秋の訪れを感じさせてくれる。 -
祥雲寺の前の坂を下りて行くと、城址の麓を通る道にぶつかった。
その近くで伊豆温泉という看板を見つけたので探してみることにしたのだが、迷った挙句に辿り着いた伊豆温泉は、残念ながらお休みだった。
かなり惹かれるものがあったのだが仕方が無い。 -
麓の道を歩いていると、城跡へと戻る道が現れた。
民部坂と呼ばれる道で、藩政時代に坂の登り口に櫻庭民部の屋敷があったことから付けられたそうだ。
領民が年貢米を城内へ運び入れるために利用されていたことから、年貢坂とも呼ばれていたようだ。 -
民部坂を登り、再び橘小路から桃小路と辿り、龍源寺の前を左折して山本大路跡へ。
山本大路の途中には、戊辰戦争時に焼失した重臣佐藤氏の住居跡に、明治初期及び大暑末期に子孫が江戸時代の様式で建てた住居を利用した八森苑があった。
庭は、佐藤氏の祖である佐藤道益が創設した讃岐の栗林公園を模したものだそうだ。 -
山本大路から松小路へと至る道沿いにあった旧佐藤政忠家住宅。
この建物は、戊辰戦争で焼失後、明治2年に元江戸家老だった加川退蔵の住宅として建てられたものを、後に佐藤政忠が買い取って移築したものだそうだ。 -
江戸大工の手によるものらしく、外観も内部もとても洗練された意匠でまとまっている。
茶の間には囲炉裏が切ってあり、仏壇もこしらえてあった。
さらに、玄関には式台まで設けてあり、さすが元家老の住宅だけのことはあった。 -
駅へと戻る道沿いに、羽後交通の矢島案内所があった。
元は営業所だったのだが、ほとんどの路線が廃止になってしまい、現在は僅か2路線しか発着しない。
広い構内から、バスが住民の足であった頃の活気が伝わってくるようだ。 -
駅前に戻るとちょうど昼時だったので、列車の待ち時間を利用して、駅前にあった食堂でラーメンを食べた。
いかにも駅前食堂のラーメンという感じだったが、面白かったのは肉が鶏肉だったこと。
鶏肉がチャーシュー代わりというのは初めてだ。
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ホームで待っていたら、何とヤマト号が動き出し、初めからホームに入っていた車両と連結。
これが、11:52発の羽後本荘行きとなって出発。
車内にも、ヤマトに因んだ飾り付けが。
地方のローカル線は、苦しい台所事情を抱えながらも手作り企画で頑張っているのが微笑ましい。
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