山頭火「どうしようもない私が歩いている」
18位
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山口県西佐波令村(現・山口県防府市大道)の大地主の出身。11歳の時、母が自殺した。旧制山口中学(現山口県立山口高等学校)から早稲田大学文学部に入学したが、神経衰弱のため中退した。その後、帰省し療養の傍ら家業である造り酒屋を手伝った。1910年(明治43年)結婚し一児をもうけた。1911年(明治44年)荻原井泉水の主宰する自由律俳誌『層雲』に寄稿。1913年(大正2年)井泉水の門下となる。1916年(大正5年)には、『層雲』の選者に参加。
その後、家業の造り酒屋が父親の放蕩と自身の酒癖のため破産し、妻子を連れ熊本市に移住した。古本屋を営むがうまくいかず、1920年(大正9年)離婚。妻子を捨てて東京へ出奔した。その後、弟と父親は自殺した。1923年(大正12年)関東大震災に遭い熊本の元妻のもとへ逃げ帰った。生活苦から自殺未遂をおこしたところを市内の報恩禅寺(千体佛)住職・望月義庵に助けられ寺男となった。1924年(大正14年)得度し「耕畝」と改名した。
1925年(大正15年)寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅し句作を行ない、旅先から『層雲』に投稿を続けた。1932年(昭和7年)郷里山口の小郡町(現・山口市小郡)に「其中庵」を結庵したが、再びさすらいの後、1939年(昭和14年)松山市に移住し「一草庵」を結庵。翌年、この庵で生涯を閉じた。享年57。
(ウィキペディアより) -
で、見つけたのがこの句である!「どうしようもない私があるいている」
この人の人生はある意味自分と重なりあう点もある。
山頭火氏は酒を飲めば浴びるほど、必ず飲んでたらしい。
天は2〜3年前までは、けっこう飲んでた(浴びるほどまでは無理!)
最近は週に1回くらいの割合でほとんど飲まない日が多くなった。
お気に入りの飲み友達がいなくなったことが大きな理由かな! -
金、銀、中の湯、中央(砂湯)、橋本温泉
今日は中央にしよう〜
http://www.yunohira-onsen.jp/illustmap.html
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