小林一茶記念館、善光寺、秋の信州
29位
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- 旅行時期 :
-
- 2011/10/16 - 2011/10/17
- (約7ヶ月前・2日間)
- エリア :
- 長野県>戸隠・飯綱・黒姫・野尻湖>黒姫・野尻湖
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2012/01/09(約4ヶ月前)
- 写真 :
- 15枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
-
- 現地移動 : レンタカー / 新幹線
- 同行者 :
- 家族旅行
-
長野新幹線から長野へ、そこからレンタカーで黒姫へ向かいます。まずは「そば処たかさわ」で美味しい信州の蕎麦でランチ。次に黒姫高原のコスモス園へ。コスモス園はなんと今日が最終日。コスモスはだいぶさみしくなっていましたが、ダリアが取り放題だったので、ブーケを作って持ち帰りました。
写真はコスモスの前で、左から母、父、叔母です。 -
この旅の目的地、小林一茶記念館。下記は記念館HPから。
小林一茶は、1763年、長野県の現信濃町の農家に生まれ、15歳に江戸に奉公に出ました。20歳を過ぎたころ俳句の道をめざすようになり、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。
29歳でふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳まで、関西・四国・九州の俳句修行の旅に明け暮れ、ここで知り合った俳人と交流した作品は、句集「たびしうゐ」「さらば笠」として出版しました。
39歳のときふるさとに帰って父の看病をしますが、1か月ほどで亡くなってしまいました。このときの様子が、「父の終焉日記」にまとめられています。この後、一茶がふるさとに永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続きました。
-
一茶は、江戸蔵前の札差夏目成美の句会に入って指導をうける一方、房総の知人・門人を訪ねて俳句を指導し、生計をたてました。貧乏と隣り合わせのくらしでしたが、俳人としての一茶の評価は高まっていきました。
50歳の冬、一茶はふるさとに帰りました。借家住まいをして遺産交渉を重ね、翌年ようやく和解しました。52歳で、28歳のきくを妻に迎え、次々に子どもが生まれましたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳の若さで亡くなってしまいました。再々婚し、一茶の没後、妻やをとの間に次女やたが生まれました。
家庭的にはめぐまれませんでしたが、北信濃の門人を訪ねて、俳句指導や出版活動を行い、句日記「七番日記」「八番日記」「文政句帖」、句文集「おらが春」などをあらわし、2万句にもおよぶ俳句を残しています。
1827年、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住みました。この年の11月19日、65歳の生涯をとじました。
こちらが小林家のお墓。一茶記念館の裏手にあります。 -
ちょうど係の人がいて説明してくださいました。一茶記念館には館長の猫がいるということで、楽しみにしていたのですが、どうやら散歩中で見ることができませんでした。
猫の子がちよいと押(おさ)へるおち葉哉
名月をとってくれろと泣く子かな
ともかくもあなたまかせのとしの暮
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