七味唐辛子が無くなった(>_<) ちょっくら長野まで買い出しへ!
6位
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- kotetsupatapataさん
- 男性
- 篠ノ井の旅行記 : 1件
- 交通手段 :
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- 現地移動 : 高速・路線バス
- 一人あたりの費用 :
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- 旅行費総額 : 1万円未満
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昨晩も遅くまで仕事でしたが、出掛ける時は朝キッチリ目が覚めます。
今朝も朝7:10名古屋発のバスに乗るために、いつもと大して変わらない5:30に起床しました。
長野行きのバスに乗ったのはたったの5人(>_<)
ど〜考えても採算取れないだろ〜 愛知県民よ頼むからもっと長野へいきましょ -
長野市内はめぼしい所はないので、長野インターでバスを降り、松代へ向かう事にしました。
真田10万石の城下町として知られる長野市松代町は、長野市の南東約10kmに位置しています。以前は埴科郡松代町という町でしたが、長野市と合併し今に至っています。
町内には真田氏ゆかりの名所・旧跡が数多くあり、多くの観光客が訪れています。 -
残念ながら、本年(2012年)3月31日を以って須坂〜屋代間の廃止が決定してしまいました。
まあ小生が須坂に住んでいた時から、廃止する話はしょっちゅう出ていましたので、とうとう廃止か〜 といった感想ですが、他の路線と同じく学生や老人といった交通弱者の方の足が無くなってしまうのですね。 -
駅前にあるスーパー「MATSUYA」です。 主に東北信を中心に展開しているので、住んでいた松本には確か無かったはずです。
地方へ行くと地元のスーパーへ行って、その土地ならではの品々を見るのが楽しみな方もおられますが、残念ながら信州ではさほど風変わりな物って多分無いはず・・ -
一つだけあった\(^o^)/
これが噂の「ビタミンちくわ」です(*^_^*)。おお〜!と興奮する人はわずかだと思います。
ちなみにビタミンちくわ(略してビタちく)とは海無し長野県で大人気の海産物(←何せ海が無い)です。 もちろん長野で生産される訳が無く、そのほとんどが能登半島のスギヨか、丸辰でおなじみのヤマヨ食品が作っており、どういう訳か消費のほとんどを信州ならびに上越地区で占めるという摩訶不思議な食べ物です。
多分信州人ならほとんどの人が「ちくわ♪・ちくわ♪・ビタミンちくわ〜♪」と歌える事でしょう。
大体2本で98円ぐらいです。 味は・・ いたって普通のちくわと変わりません。
久しぶりに見ました(*^_^*) -
「エコール・ド・まつしろ」
松代の町を歩いているとよくこのような暖簾を見かけます。
これは、城下町松代のブランドイメージを打ち出し、統一的に町の身嗜みを整えて、訪れる人びとを歓迎する、おもてなし活動の一環です。
「エコール・ド・まつしろ」の校章として、佐久間象山の筆跡を使いデザインした、松代ならではの格調高いブランドマークをつくり、松代の誇りとおもてなしのシンボルであるこのマークを、様々なかたちにして町に飾り、お客様をお迎えしているそうです。
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☆文武学校☆
江戸時代末期に、藩士子弟の学問・武芸の奨励のために建てられた藩校(学校)である。ここでは文学や武術のほかに、西洋の軍学などの授業も行われた。建物は、創建時の姿を現在に伝える貴重な遺構で、1953年に国の史跡に指定された。
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さてお昼時です。
松代は残念ながら、町内であまり食事を取れる所がありません。 しかも折角信州に来たのですからお蕎麦でも・・ という方には特に しかも冬場は観光客が元々少ないので、臨時で休んだりしていますし・・
その中で今回訪れたのは「沙羅樹庵」というお店です。 駅からも歩いて7〜8分ですし、文武学校や真田邸からですと大体5分くらいです。
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注文したざるそばの中盛です。 これで790円はお値打ちだがね(←なんで名古屋弁?)
気になるお味は・・ 有名店に比べたら素朴な二八蕎麦の味ですが、手打ちの蕎麦でこの値段でしたらCP的にはかなり高いです。
大変満足いたしました(*^_^*) -
〜佐久間象山〜
文化8年(1835年)2月、信濃国松代藩士・佐久間国善の子として松代城下に生まれました。
天保4(1833)年、江戸に出て佐藤一斎に学び、一旦帰藩したあと23歳の頃に江戸遊学を許され、渡辺崋山、藤田東湖らと交友を深め、29歳のときに神田お玉ヶ池に私塾「象山書院」を開き、多くの門人を集めた。
天保13(1842)年、松代藩主・真田幸貫が海防掛老中に就任すると顧問となり、海防問題を研究し、「海防八策」などを提出した。
また、江川英龍に西洋兵学を、黒川良安に蘭学を学び、ペリー来航の際には老中・阿部正弘に「急務十言」を進言し浦賀警護に当たった。
嘉永3(1850)年には江戸木挽町も松代藩邸に私塾を私塾を開き砲術を教えた。その門下からは吉田松陰、勝海舟、河井継之助、坂本竜馬らが育っていった。
ちなみに象山の妻は勝海舟の実妹である。
安政元(1854)年には松陰の米国密航未遂に連座して松代に蟄居を命じられる。
蟄居生活は9年間にもおよび、その間も西洋研究に没頭し、大砲製造、地震予知、電池の政策、電信実験などを成功させた。その間、高杉晋作、久坂玄瑞、中岡慎太郎らが象山をたずねている。
文久2(1862)年に赦免され、元治元(1864)年3月、将軍・徳川家茂に招かれ京に上り、諸侯や公卿らに公武合体・開国遷都を説いて回った。
そして、孝明天皇を防備の弱い京都から、彦根へと移す計画を立てた。
しかし、その言動の激しさから尊攘派を刺激し標的となった。
敵であるはずの桂小五郎ですら、人伝に注意を促したという。
7月11日、昼間に供を一人だけ連れて馬で三条木屋町筋を通行中、河上彦斎らに暗殺された。
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☆松代城(海津城)城址☆
戦国時代、山本勘助によって築城されたといわれ、三方を山に囲まれ千曲川を天然の堀とした平城といえど堅固な城であった。
1622(元和8)年に真田信之が上田から移封されて以来、10代約250年にわたって真田氏が城主をつとめました。
真田氏が城主となって、信州随一の大藩の城となったが、外様のため城の規模は拡張されず、戦国時代から城の規模は変わっていないようです。
明治の廃城後、建物は取り壊されましたが、櫓門や橋などが復元されています。
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駅から歩いて5分程でまきばの湯に着きました。
500円と貸しバスタオル代100円を支払います。
泉質は、カルシウム・ナトリウム-塩化物温泉(弱アルカリ性等張性温泉)だそうで、お肌スベスベの美肌の湯として知られています。 -
この温泉の素晴らしさは、千曲川や善光寺平・長野市街地を見下ろし、彼方に飯綱山・戸隠山などの北信五岳はもちろんのこと、遠くは北アルプスを見渡す景勝地にあることです。
ガラス越しに外の景色を望むことができる内湯もありますが、露天風呂からの眺めは格別です。
今日はあいにく雲がかかり、北アルプスの山並みは見えなかったのが残念でしたが、少し温めのお湯でいつまでも入っていられます!(^^)!
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