カテゴリー:
観光・遊ぶ>名所・旧跡
エリア:
大阪府>関西空港・堺・岸和田>堺・松原
住所:
大阪府堺市堺区甲斐町西1-1 (地図編集
みんなの満足度:
3.34
  • 利用した際の同行者: 一人旅
アクセス:
3.79
人混みの少なさ:
3.81
見ごたえ:
3.50
バリアフリー:
-

このスポットのクチコミ 2

与謝野晶子生家跡のクチコミ2

  • ryokさん 写真

    ryokさん
    堺・松原のクチコミ : 35件
    旅行時期 : 2012/03(約2ヶ月前)
    阪堺電車沿いのフェニックス通りから少し北側に石碑と看板があります。
    この道路の幅いっぱいに与謝野晶子の生家「駿河屋」お菓子屋さんが
    あったと紹介されています。
    真ん中に電車が走りその両脇には2車線ずつの道路ですが
    この幅いっぱいにお店があっったみたいなのでかなり広かったのが
    わかります。
    少女時代にはお店も手伝った様です。

    拡大する(全1枚)

    同行者
    カップル・夫婦
    アクセス : 
    3.5
    人混みの少なさ : 
    4.5
    見ごたえ : 
    3.5
    バリアフリー : 
    評価なし

    利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する

  • さすらいおじさんさん 写真

    さすらいおじさんさん
    堺・松原のクチコミ : 12件
    旅行時期 : 2007/06(約5年前)
    大阪・堺市、与謝野晶子生家跡の碑(2007年6月12日)
    与謝野 晶子(よさの あきこ1878−1942年)は堺の老舗(しにせ)和菓子屋「駿河屋」の3女。恵まれた少女時代を過ごし女学校時代は『源氏物語』などを読み耽った。歌集『みだれ髪』(1901年)で女性の自我と官能をおおらかに表現したのも『源氏物語』の影響が大きいだろう。日露戦争時の1904年には旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表。さらに「天皇は戦争に自ら出かけられない」と唱い、国粋主義者であった大町桂月(1869−1925年)に批判された。だが晶子はひるむこと無く「歌はまことの心を歌うもの」と桂月の批判を一蹴した。日露戦争当時は「満州事変」後の昭和の戦争の時期ほど言論弾圧が厳しく無かったとは言うものの、「まことの心」で女性の官能を表現し、戦争批判したことは生身の人間として立派で革命的な女性文学者と言えるだろう。
    与謝野晶子生家跡の碑は宿院電停から大小路電停方向に100mほど歩いた左側の歩道沿いにある。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159336/
    (写真は与謝野晶子生家跡の碑)
    アクセス : 
    4.0
    人混みの少なさ : 
    3.0

    利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する

与謝野晶子生家跡 周辺のホテル

旅行特集 4Tマガジン

国内旅行のおすすめツアー

by Opendoor

その他の特集一覧