カテゴリー:
観光・遊ぶ>名所・旧跡
エリア:
京都府>宇治・長岡京・木津>加茂・和束
住所:
京都府相楽郡加茂町例幣中切 (地図編集
みんなの満足度:
3.34
  • 利用した際の同行者: 一人旅
アクセス:
3.50
人混みの少なさ:
4.00
見ごたえ:
3.75
バリアフリー:
3.00

このスポットのクチコミ 2

山城国分寺跡・恭仁京跡のクチコミ2

  • たびたびさん 写真

    たびたびさん
    加茂・和束のクチコミ : 5件
    旅行時期 : 2012/04(約1ヶ月前)
    天皇の権威が確立したとされる奈良時代でも、体制を揺るがす事件はあったようで。740年に起きた藤原広嗣の乱もその一つ。藤原氏に代わって重用された吉備真備への不満から、大宰府で挙兵した乱。これはほどなく鎮圧されますが、その後、聖武天皇は、平城京からこの恭仁京に遷都。続いて、近江紫香楽宮、難波京へと転々とした後、745年に平城京へと戻ることになります。
    なお、その後この地には山城国の国分寺が置かれまして、整備された広場の一角には七重塔の礎石が残っていました。

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    同行者
    一人旅
    アクセス : 
    3.5
    人混みの少なさ : 
    4.0
    見ごたえ : 
    3.5
    バリアフリー : 
    3.0

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  • いにしえの都

    満足度: 4.0

    夏ミカンさん 写真

    夏ミカンさん
    加茂・和束のクチコミ : 4件
    旅行時期 : 2009/04(約3年前)
     
    恭仁京(くにきょう)は、奈良時代の一時期都が置かれた地です。
    天平12年(740年)聖武天皇によって、平城京から遷都されました。
    大極殿がそびえ、天平の甍が輝いていたのです。
    遷都後、宮城の跡地は山城国分寺として再利用されることになりました。

    かっての都の跡も、今は広い野原です。
    金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が地表に残されています。

    4年間という短命でしたが、このとき加茂は日本の首都になったんですよね。
    なんか感慨深いものがありますね。

     

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    同行者
    一人旅
    アクセス : 
    評価なし
    人混みの少なさ : 
    評価なし
    見ごたえ : 
    4.0
    バリアフリー : 
    評価なし

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