2009/08/04 - 2009/08/04
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神戸・三宮のフラワーロードは明治時代初期まで天井川であった生田川を埋め立て道路にしたものだった。第2次大戦後、歩道と中央分離帯に花を植え、花時計を造ったことなどから「フラワーロード」と呼ばれるようになったそうだ。「フラワーロード」では毎年神戸まつりのパレードが行われている。
神戸・和田岬周辺には兵庫七福神や清盛七弁天など社寺が多い。
JR、地下鉄の和田岬駅近くには和田神社(わだじんじゃ)と三石神社(みついしじんじゃ)がある。
西宮神社に祀られている通称「えべっさん」・蛭子大神(えびすおおかみ)は自凝島(おのころじまー淡路島などとの説ある)から最初に辿り着いたのが和田岬だといわれている。
1173年、平清盛(たいら の きよもり1118−1181年)は日宋貿易の拠点とするために、奈良時代に行基(ぎょうき668−749年)が開いたといわれる大輪田泊(おおわだのとまり)の改修整備を行った際、工事の無事を祈願して安芸国・宮島より市杵嶋姫大神(いちきしまひめのおおかみ=弁財天)を勧請し「清盛七弁天」と呼ばれる和田神社・氷室神社・真光寺・済鱗寺・恵林寺・兵庫厳島神社・花隈厳島神社の7か所の弁天社を建てたと伝えられている。
1658年、武庫郡小松村にあった岡田宮(おかだぐう)の神輿が和田岬の蛭子の森に漂着した折、領主・尼崎藩藩主の青山大膳亮幸利(あおやまだいぜんのすけよしとし)は蛭子大神と市杵嶋姫大神を合祀して和田神社は和田の明神と呼ばれるようになった。
1764年には朝鮮通信使が寄港し、和田神社で海上安全祈願を行い1766年、1778年には俳人・与謝蕪村(よさ ぶそん1716−1784年)が訪れている。
1863年には14代将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち1846−1866年)が勝海舟(かつかいしゅう1823−1899年)らを従えて来訪、この年に後に15代将軍になった徳川 慶喜(とくがわ よしのぶ1837−1913年)も訪れている。
和田神社は隣接する三石神社とともに三菱造船所の設立の際1902年に現在の地へ移転している。三石神社の祭神は神功皇后、天照皇大神、素盞嗚大神で602年、推古天皇が禊(みそぎ)をしたところを祓殿塚(はらいどののつか)といい玉座にした石を三石というそうだ。行基が大輪田泊を興した時、神功皇后の神霊が現れたので祓殿塚の旧跡に祠を立て往来神・雪気神(ゆきけのかみ)としたといわれている。
和田岬周辺には著名人が訪れた歴史文化遺産がたくさんある。
(写真はフラワーロードの花時計)
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フラワーロードの光景。
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花時計の光景。
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フラワーロードの光景。
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花時計の光景。
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フラワーロードの光景。
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花時計の光景。
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フラワーロードの光景。
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花時計の説明。
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フラワーロードの光景。
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花時計の光景。
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三宮地下街にある彫刻。
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三宮地下街の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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和田神社の光景。
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鳥居の額。
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鳥居の額の説明。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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埴輪の説明。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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和田神社の埴輪周辺の光景。
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三石神社前の光景。
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三石神社の光景。
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三石神社の光景。
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神功皇后像の説明。
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神功皇后像。
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盃状石の説明。
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盃状石。
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