カテゴリー:
観光・遊ぶ>名所・旧跡
エリア:
東京都>両国・錦糸町・門前仲町>両国・錦糸町
住所:
東京都墨田区両国3-13-9 (地図編集
みんなの満足度:
3.60
  • 利用した際の同行者: 一人旅
アクセス:
4.44
人混みの少なさ:
3.89
見ごたえ:
3.58
バリアフリー:
4.17

このスポットのクチコミ 9

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吉良邸跡のクチコミ 9

満足度の高いクチコミ(4点〜)7

ひっそりとした一角に整備されていました

  • 4.5
  • 訪問時期:2012/03 (約3ヶ月前)

0人中、0人の方が、「参考になった」と投票しています。

両国エリアは、忠臣蔵の舞台としても知られていますが、現在の両国小学校の少し西側に、白壁(なまこ壁)に囲まれたエリアが突如として現れます。これが吉良邸跡で、現在整備されているのは、当時のエリアの僅か86分の1に過ぎない、とのことで、当時の吉良邸が如何に大きかったのかを感じさせてくれます。尚、討ち入りの日には「義士祭」も開催されているそうですが、詳細を記したパンフレットが敷地内に無料で用意されてい... (もっと読む

ケロケロマニアさん

ケロケロマニアさん
(両国・錦糸町 クチコミ 15件)

満足度普通〜低いクチコミ(〜3点)2

赤穂浪士

  • 3.0
  • 訪問時期:2011/04 (約1年前)

0人中、0人の方が、「参考になった」と投票しています。

両国の吉良の屋敷跡はほとんどが住宅地に消えてない。しかし忠臣蔵のパネル館のような小さな公園が設けられていて訪れた忠臣蔵ファンの期待にこたえている。公園内には吉良上野介の首を洗った井戸がある。その近くでは勝海舟が生まれた記念碑が建っている。 (もっと読む

美良々橋モヨ子さん

美良々橋モヨ子さん
(両国・錦糸町 クチコミ 1件)

吉良邸跡のクチコミ 9

両国・錦糸町 吉良邸跡 みんなのクチコミ 9件

吉良邸跡の旅行記 14

※ここに掲載されている旅行記は、旅タグ(β)によって関連している旅行記を掲載しています。 旅タグとは?

  • 常憲院殿霊廟勅額門(上野・寛永寺)by ドクターキムルさん

    • 常憲院殿霊廟勅額門(上野・寛永寺)
    • 常憲院殿霊廟勅額門。
    • 常憲院殿霊廟勅額門。
    • エリア: 上野・御徒町旅行テーマ: 寺社・札所めぐり
    • 旅行時期: 2011/11/04 - 2011/11/04(約6ヶ月前)投票数: 2

     上野・寛永寺には常憲院殿霊廟勅額門がある。宝永6年(1709年)に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。  常憲院とは、5代将軍徳川綱吉公(正保3年(1646年)〜宝永6年(1709年))の法号である。綱吉公は3代将軍・家光の四男であり、館林藩主から将軍の座に着いた。「生類憐れみの令」を発した犬公方として知られる。また、元禄14年(1701年)、播州赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が、高家旗本・吉良上野介義央に対して殿中松の廊下において刃傷に及び、内匠頭は即日切腹となり赤穂藩は改易となったが、その裁定を下した... もっと見る(写真8枚)

  • 両国橋by ドクターキムルさん

    • 両国橋
    • 両国ジャンクション(両国大橋)の向こうには両国橋。
    • 両国橋。
    • エリア: 両国・錦糸町旅行テーマ: 街歩き
    • 旅行時期: 2011/10/09 - 2011/10/09(約7ヶ月前)投票数: 1

     両国橋は靖国通り(国道14号・京葉道路)にある隅田川にかかる橋である。架橋当初は「大橋」と名付けられていたが、元々は武蔵国と下総国との国境にあったことから、両国橋と呼ばれていた。そして元禄6年(1693年)に新大橋が架橋されると両国橋が正式名称となった。両国橋が架かる隅田川左岸域は、貞享3年(1686年)に国境が変更され、武蔵国内になっている。  現在の橋は関東大震災後に架け替えられ、昭和7年(1932年)に竣工したもので、橋長 164.5m、幅員24.0mある。明治37年(1904年)に竣工した旧両国橋は3連トラスで、そのう... もっと見る(写真10枚)

  • 300年ぶりに帰ってきた 上野介像を見に吉良邸跡へ行く、両国散策の巻by 一歩人さん

    • 300年ぶりに帰ってきた 上野介像を見に吉良邸跡へ行く、両国散策の巻
    • JR総武線の両国駅で降ります。
    • ホーム越しに東京スカイツリーが見えます。
向かい側のホームは?
    • エリア: 両国・錦糸町同行者: カップル・夫婦(シニア)旅行テーマ: 歴史・文化・芸術
    • 旅行時期: 2010/12/12 - 2010/12/12(約1年前)投票数: 35

    華厳堂の御影堂(みえいどう)にまつられていて、 元禄3年(1690年)義央公が50歳のお姿と 伝えられる木造に似ています。 また、自ら彩色したとも伝えられているとか。 とても穏やかなお姿でした。合掌。 本所松坂町公園(吉良邸跡) 墨田区両国3-13-9 JR総武線 両国駅 徒歩10分 http://www.geocities.jp/ryogoku3/genrokuichi.html 300年ぶりに帰ってきた 上野介像 http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/101206/tky1012062250013-n1.htm  もっと見る(写真37枚)

  • 赤穂浪士引揚げの道を歩く(その1)吉良邸跡から永代橋by サニーライフ平井さん

    • 赤穂浪士引揚げの道を歩く(その1)吉良邸跡から永代橋
    • 平成の今、JR両国駅が吉良邸討ち入りの最寄り駅となる。改札を出て左に回向院を目指す。
    • 京葉道路の正面に回向院を観たら左に歩き、両国3丁目の交叉点を目指す。
    • エリア: 両国・錦糸町同行者: 一人旅旅行テーマ: 街歩き
    • 旅行時期: 2010/12/04 - 2010/12/04(約2年前)投票数: 1

    元禄15(1702)年12月14日(今の感覚だと15日の早朝)に本所吉良邸に討ち入った赤穂浪士が、 無事に本懐を遂げ泉岳寺に引揚げる道を数回に分けて歩く予定。今回は吉良邸→回向院→一之橋→萬年橋→永代橋 と歩いたが、当時とは道や橋の位置が異なるので、最も近いルートとした場所もある。 もっと見る(写真26枚)

  • 忠臣蔵の舞台と泉岳寺・赤穂義士祭by ralphinさん

    • 忠臣蔵の舞台と泉岳寺・赤穂義士祭
    • 【江戸城・松の廊下跡(現・皇居本丸跡)】

※07年春に撮影。

――――――――
元禄14年3月14日
――――――――
この江戸城松の廊下で、浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及ぶ。
本殿を血で染めるはご法度。
内匠頭は即日切腹、お家取り潰しとなる。
一方の吉良は何のお咎めナシ。

これが討ち入りをするキッカケとなった。

喧嘩両成敗じゃないのかー(怒)!!
    • 【愛宕・田村右京大夫上屋敷跡(現・港区新橋)】
浅野内匠頭終焉の地

※12月某日仕事の合間に撮影。
現在工事の為、石碑は一時撤去されていました。

――――――――
元禄14年3月14日
――――――――
江戸城松の廊下での刃傷後、内匠頭は一関藩・田村右京大夫の上屋敷にお預かりの身となり、即日切腹。

通常、大名の切腹は屋敷内で行うが、内匠頭は庭先での切腹だった。

「風さそふ 花よりもなほ 我ははまた 春の名残をいかにとやせん」と無念の句を読んだ。

看取った家臣は、≪片岡源五右衛門≫ただ一人。
    • エリア: 浜松町・芝公園・田町旅行テーマ: 歴史・文化・芸術
    • 旅行時期: 2008/12/14 - 2008/12/14(約4年前)投票数: 21

    12月14日は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした日。 討ち入りが行われた14日は義士祭が行われ、赤穂義士の格好をした人々が街を練り歩きます。 泉岳寺以外にも、赤穂や両国でも行われています。 『忠臣蔵』は「元禄赤穂事件」を題材として脚色された創作作品である。 実は「忠臣蔵」をよく知らなかった私。 知識を深めようと数々のドラマや映画を観ました。 映画だと時間が足りなく、ドラマなら時代背景やその取り巻きの人物や詳細が分かるのだ。 中でも北大路欣也主演(フジテレビ系)の忠臣蔵は原作を忠実に表現しているので... もっと見る(写真43枚)

吉良邸跡の旅行記をもっと見る 14件

吉良邸跡 施設情報

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施設情報

施設名:
吉良邸跡
住所:
東京都墨田区両国3-13-9 (地図
アクセス:
JR総武線両国駅から徒歩7分

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