武蔵平山城址訪問
13位
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- 旅行時期 :
-
- 2011/10/30 - 2011/10/30
- (約7ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2012/01/01(約4ヶ月前)
- 写真 :
- 44枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
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- 現地移動 : 私鉄 / 徒歩
京王本線平山城址公園駅下車、駅名と同名の平山城址を訪問しまた。
平山城址で著名な人物は平山季重(ヒラヤマスエシゲ)で舟木田荘平山郷(現在の日野市平山)を本拠とする武蔵七党のうち西党日奉(ヒマツリ)氏に属する武士です。つまり武蔵七党の西党とは平安末期・鎌倉期に武蔵国多摩地域西部に住む武士集団の呼称です。
季重(スエシゲ)は源義朝の代から源氏に仕える源氏譜代の御家人で保元・平治合戦にも参戦してまして、1180年(天喜4年)頼朝が平家打倒の挙兵に対しいち早く合流し頼朝を支え、勢力拡大に中心的な働きをします。更に平氏追討・奥州討伐などすべての戦場に姿を見せて数々の戦功を挙げます。特に季重の活躍が紹介されたのは一の谷合戦に於ける熊谷直実と先陣の争いで「平家物語」に描かれた源平合戦の中でも有名な場面となってます。
1192年(建久3年)には頼朝の子である実朝が生まれ、鳴弦(メイゲン)の役を勤めます。鳴弦の役は弓を弾き鳴らして魔を払う武家にとっては重要な出産儀礼で季重はこの名誉ある役を果たす事になります。
更に1195年(建久6年)には頼朝の東大寺大仏殿落慶供養への供奉にも随行するほどの信任を受けるに至ります。
このように源氏の重鎮として活躍した平山季重は晩年には深く仏門に帰依する中、近隣の高幡不動尊の再建に携わり、頼朝の命を受けて西多摩郡横沢(現在のあきるの市)の大悲願寺(ダイヒガンジ)の造営にも関わります。
季重の居館跡には曹洞宗大福寺が建立されるも明治6年の廃仏毀釈によって廃寺となります。現在は駅前の「平山季重ふれあい館(図書館併設)」一帯が平成19年の発掘調査で居館跡と確認されています。
ただ大福寺から移設された季重の墓は南方の高台にある曹洞宗宗印寺の境内で見られます。
江戸時代においても平山は季重の地として知られ彼にゆかりのある人々の来訪を受けます。松本藩士平山季長はこの地に先祖季重の墓を建立します。また1805年(文化2年)下総国香取郡の豪農平山正名が平山を訪れ、1851年(嘉永3年)にはその子正義が季重を顕彰する「平山季重跡之碑」を建立します。
自分の勤務地が京王線沿線でしたので駅名は認識していましたが、目的を持って下車したのは初めてです。自宅の八王子から近隣の地で歴史のひとコマに接することが実現できて嬉しさも倍増です。加えて鎌倉時代の人物が現在でも駅名とともに存在している事に深い感銘を受けます。
【大悲願寺】
大悲願寺は真言宗として、1192年(建久2年)平山季重が京都醍醐寺三宝院の僧を招いて開山、木造阿弥陀三尊像(国重要文化財)の他本堂・大般若写経本・大悲願寺文書(都指定文化財)が保存されています。交通:JR五日市線武蔵五日市又は武蔵増戸徒歩約15分。
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平山季重ふれあい館
駅を出ますとすぐ右手に当建物が見えます。
発掘調査によりますとこの付近に季重居館があったと確認されています。
帰路に当館に立ち寄ります。
(当館は図書館も兼ねており、季重に関する書籍・資料を閲覧することが可能です) -
平山季重の墓(都旧跡)説明
豪放大胆な武蔵武士の面影を充分に発揮して、保元・平治の乱にも大いに活躍しました。
1213年(元保元年)の和田義盛の乱には平山氏は加担せず所領は安堵、同族横山氏は義盛の妻が横山氏出身により加担し和田氏とともに滅亡します。
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