上野白井城跡訪問
1位
人気旅行記ランキング子持・高山8件中
- 旅行時期 :
-
- 2011/08/06 - 2011/08/06
- (約9ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2011/09/19(約8ヶ月前)
- 写真 :
- 29枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
-
- 現地移動 : JRローカル / 徒歩
利根川と吾妻川の合流点にある上野白井城跡を訪問しました。
渋川駅下車、国道17号(鯉沢バイパス)を北上、利根川と吾妻川の合流点の吾妻新橋を渡り道路を左折、国道と並行して歩きますと白井宿の看板が現れ、その先を数分歩きますと白井城跡案内板が待っています。
歴史的には1430年頃に関東管領山内上杉氏の重臣である長尾景仲によって築城されたと言われています。その後歴代城主の長尾氏内部で関東管領家の家宰職の相続を巡り家督争いが勃発、白井城は山内上杉氏の重要拠点でありましたので当然ながら当城も戦いに巻き込まれ攻防に明け暮れ、その結果関東管領としての山内上杉氏の勢力が衰退してまいります。
一方飛ぶ鳥を落とす勢いの北条氏の関東進出は活発で、1546年
河越の合戦で北条氏康に大敗し関東での覇権を放棄せざるをえなく
山内上杉憲政は越後に亡命、長尾影虎に関東管領職を譲る事となります。
以後は関東の覇権を勝ち取るべく、上杉氏・武田氏・北条氏の各勢力が当地で入り乱れる戦国時代に突入していきます。即ち謙信の関東出陣の基地になったり、信玄の臣下となった真田幸隆による侵攻と開城により一時的に武田氏の属城となります。続いて1573年信玄の死後は当城主の長尾氏は上杉氏、北条氏、滝川一益(織田信長属将)、北条氏と次々と主家を替える事となります。
1590年の小田原城包囲に伴い豊臣秀吉の軍略に従った前田利家・上杉景勝を主軸とする北方軍団は当城を包囲、城主長尾政景はたまらず開城します。そして徳川家康が関東移封後は北関東の要衝という認識に立ち幕府は白井城を譜代大名(本多・牧野・戸田・西尾)に統治させることになりますが1623年廃城となります。
地勢的には利根川と吾妻川が合流する河岸段丘の吾妻川沿いの断崖に本丸、二の丸、三の丸が位置し、城域の大部分は既に農地化されていますが、本丸周辺は土塁、堀、虎口の石垣は完全に確認できる状態となっており、戦国時代における河川等を駆使した典型的な防御重視の城砦で自分としては格別の印象を受けます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する
子持・高山 旅行記ランキングこの旅行記は現在1位 (9票) です。
子持・高山のホテルピックアップ(もっと見る)
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし






























