佐倉市散策(25)・・成田詣で賑わった成田道を訪ねて(臼井田〜本町)
66位
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- 旅行時期 :
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- 2012/01/16 - 2012/01/16
- (約4ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2011/10/12(約7ヶ月前)
- 写真 :
- 72枚
- コメント :
- 0件
江戸時代の日本橋から成田までの宿場と距離は、次のようになっていました。
日本橋ー(日光街道、8.9km)ー千住ー(水戸街道、6.1km)ー新宿ー(以降は成田道、8.7km)ー八幡ー(6.0km)ー船橋ー(13.0km)ー大和田ー(8.0km)ー臼井ー(5.2km)ー佐倉ー(1.9km)ー酒々井ー(8.9km)ー成田
水戸街道から新宿で別れるルート以外に、日本橋から水路で江戸川河港の行徳に上陸し、八幡または船橋で合流し、成田へ向かうルートもありました。行徳へ向かう船は、もともと塩を江戸へ運ぶためのものであったが、幕末の頃には成田山に参拝する人々を乗せるようになりました。
この旅行記は、佐倉市の「成田道」13kmのうち、臼井田、江原台、角来、海鱗寺町、並木町、新町、弥勒町、本町を歩いた記録です。
2011/10/09 第1版
2012/01/16 第2版
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聖隷佐倉市民病院です。国道296号線は、江原台の交差点で水道道路と合流します。この変形交差点を左折し、250m直進すると聖隷佐倉市民病院です。ここには以前、腎臓移植バンクが置かれた国立佐倉病院がありました。
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本丸跡の夫婦モッコク、樹齢400年です。佐倉城の築城の際に本丸等に植えられた庭樹の一つと考えられています。この、モッコクは、二株であるが根元が融合しており、樹高11M以上ありモッコクとしては巨木です。千葉県指定天然記念物です。
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旧河原家の門塀です。麻賀多神社の南400mの所に武家屋敷があります。江戸時代の武家屋敷のうち、現在は旧河原家、旧但馬家、旧武居家の3棟の屋敷が公開されており、華美を戒めた質素倹約な造りの中に、それぞれの石高に応じた違いが見られます。庭の様相や屋敷の裏に作られた畑からも、当時の武士の生活が隙間見られます。
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右側に小川園本店があります。明治45年創業のお茶の製造・販売の老舗です。明治4年廃藩置県で刀を捨てた佐倉藩士達が、生活のため「同協社」を設立し、荒野を開墾しお茶の栽培・製造を始めました。最盛期には、茶園180ヘクタール、総製茶量1200トンにのぼり、海外にまで輸出されました。「同協社」は大正9年に解散しましたが、小川園により佐倉茶の伝統が守り続けられています。
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佐倉新町おはやし館に常設展示されている、肴町の山車人形「竹生島龍神」です。新町六町と弥勒町の豪商達が明治12〜13年に江戸日本橋近辺から7体の人形山車を買い、現在に伝えています。山車人形は、江戸時代から明治初期に作られた物です。
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資料館に展示されている「佐倉城の天守閣の模型」です。家康が土井利勝を封じる際に、「関東の要とせよ」と命じて築城しただけあって、その地形(三方を川と湿地に囲まれた鹿島山の西端部に位置)を利用し空堀と土塁による強固な城であったことがうかがえる。しかし、天守閣は三階櫓であり、装飾もほとんどなく、質素なものでした。
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蘭学通りの終点、本町交差点にある、佐倉順天堂記念館正門です。「順天堂」は、1843年蘭医・佐藤泰然が、医学塾兼外科の診療所として創建したものです。順天堂からは多くの優秀な人材が育ち、彼らはその後日本の近代医学の発展に大きな役割を果たしています。
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