下総小金城跡訪問
27位
人気旅行記ランキング松戸118件中
- 旅行時期 :
-
- 2011/11/22 - 2011/11/22
- (約6ヶ月前・1日間)
- テーマ :
- 歴史・文化・芸術
- 投稿日 :
- 2012/01/22(約4ヶ月前)
- 写真 :
- 42枚
- コメント :
- 0件
- 交通手段 :
-
- 現地移動 : JRローカル / 徒歩
JR常磐線北小金駅下車徒歩約15分、珍しい堀(畝堀・障子堀)を有する小金城跡を訪問しました。
築城者は小弓城主原氏の家老職高城胤吉(タカギタネヨシ)で築城開始から7年後の1537年(天文6年)に根木内城から転居し当城を本拠地としました。
高城氏はもともと原氏と共に千葉氏の家臣でありましたが鎌倉御家人だった頃のかつての勢力は既になく、千葉氏の凋落ぶりはいかんともしがたくこれを機に離反・独立を果たし、最盛期には現在の松戸を中心に市川・船橋・鎌ヶ谷・柏・我孫子等の葛飾郡東部周辺に所領を広げます。やがて小田原より北上進出する北条氏の支配下に入り、小金城は西下総における拠点の位置付けとなります。
1560年(永禄3年)越後上杉謙信が足利藤氏を奉じて関東進出、古河城に滞陣の際近隣の関宿城に在城していた古河公方・足利義氏は小金城に身を移しますが高城胤吉は所領安堵を引き換えに主を変えて謙信に服従します。
以降謙信が越後に帰りますと一転直ちに主を北条氏に戻す中、江戸湾の覇権を争うべく安房里見義弘等との第二次国府台合戦で北条氏康軍に協力して敵に大打撃を与えることとなります。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原城討伐では、当主の胤則とその息子は他の有力武将と共に小田原城籠城、胤則は小田原勢の劣勢を認識し今後の展開を有利に運ぶため密使を通じ小金城の開城を在番重臣に命じます。
結果小田原城開城、4代目北条氏政・次弟氏照は切腹、5代目氏直は高野山追放を以って滅亡しますが、他方高城胤則は蒲生氏預りとなり高城氏の支配は終り、一時的に徳川信吉の入封を経て水戸城に移りますと廃城となります。
地勢的には起伏のある丘陵地に東西800m、南北に600m、高低差15mの大城郭だったそうで説明地図が示すところでは北小金駅構内まで及ぶ程の大規模敷地でありましたが、宅地開発により市街化がかなり進み現在残っているのはわずかに外郭の金杉口・達磨口だけとなっているのは大変残念です。
歴史公園として発掘・保全をする中で歴史公園化されていましてポイント毎の説明版は丁寧でよく理解できます。更に特筆すべきは畝堀・障子堀と言った珍しく貴重な遺構が残っており、自分としてはひじょうに勉強になりました。
-
慶林寺
曹洞宗熊耳山慶林寺。
小金城主高城胤吉が1565年(永禄8年)没しますと妻は胤吉の菩提を弔うため髪を下ろし桂林尼と称しこの地に庵を建てます。
桂林尼の死後、息子の胤辰(タネタツ)が庵のあった所に母の霊を弔うために寺を建立したのが慶林寺の始まりです。
尚胤吉の妻は千葉宗家の千葉勝胤(カツタネ)の娘であります。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。問題のある投稿を連絡する
松戸 旅行記ランキングこの旅行記は現在27位 (8票) です。
この旅行記と近い旅行記
松戸のホテルピックアップ(もっと見る)
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし
-
評価なし











































