行徳にあった キリシタン燈籠 と 名石の寺
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元笹屋うどん店。新しく補修していますが、在来の工法を踏襲しているようです。
安政元年の建築。当時旅人が船を待つ間に、笹屋で一休みして、土産として干しうどんを持ち帰ったという。
「出ますよと 船頭 笹屋に 声を掛け」と川柳も残っています。 -
私の実家もこんな佇まいでした。2階部分は立てないくらいの高さで、普段使っていない部屋などあって、母が嫁に来たときの黒い長持などがありました。
梯子を登って自分だけの部屋にした事もありました。
商売をしていたので一階は引き戸をあけると土間になっていました。 -
神社でありながらご神体は十一面観音菩薩だといいます。この神社は度重なる津波のため本殿等が破損し、他の寺院に長い間預けられていましたが、大正2年に返還がかない現在、本殿に安置されているとのことです。
立派な彫刻ですねー。 -
「おかね塚」の碑。碑文によれば、行徳の地は製塩で栄え製塩に必要な薪などが、上総から船で運ばれてきました。船で働く男たちは江戸吉原まで遊女を買いに行くことが多く、その中の船頭のひとりが遊女「おかね」と夫婦の約束をしました、年季があけて「おかね」は行徳にきて船頭を待ったがついに現れず、貯蓄も使い果たし憔悴して死んでしまいました。
遊女とはいえその純情をあわれみ、なかまの遊女たちが金を出し合って供養の碑をたてました。行徳の人たちもその心にうたれ、この話を後世に残そうと地元有志がこの由来を記した碑を立てたのです。 -
妙覚寺。天正14年創建、中山法華経寺の末寺。
この妙覚寺にあるのが、東日本ではたいへんん珍しい、キリシタン信仰の遺物である「キリシタン燈篭」があります。 燈篭の中央下部に舟形のくぼみがあり、中にマントを着たバテレン(神父)が靴をはいた姿が彫られているという。
説明版を見て「えっ バテレン? 彫刻?」 期待が膨らむ。歩いてすぐの所にありました。 -
「キリシタン燈篭」 うーん これかー しばし沈黙。想像した期待の大きさとのギャップに呆然自失。 鎌ヶ谷大仏を見たとき以来の衝撃をうける。
(鎌ヶ谷大仏については、いつか紹介するときもあろうかともおもいます。) -
思い直してよく観察してみよう。全体の形はなかなか垢抜けた美形である。
さすが「へうげもの」の古田織部のプロデュースだけある。
期待の彫刻だが、バテレンではないでしょう?お地蔵様でしょう。 と、・・・・ だが;足元を見ると靴を履いています。 たしかに・・・・
もともとは靴の部分は地面に埋めてあったといわれています。
別名「織部燈篭」というそうです。 -
浄土真宗 「仏性山 法善寺」慶長5年の創建。敷地も広く雰囲気のあるお寺です。本堂は3層の茅葺屋根の壮大なものでしたが明治14年の大火で焼失した、といいます。 見たかったなー、 頭の中に消失前の壮大な建物が想像され浮かんできます。
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その下に誰もが見過ごしてしまいそうな場所に、ひっそりと石碑がありました。 「うたがうな 潮の華も 浦の春」 芭蕉の句碑です。行徳は製塩で栄えた地です。「潮塚」と呼ばれているそうです。
芭蕉の百回忌に行徳の俳人「戸田麦丈」が建てました。 -
歴代住職の墓が並んでいます。中央の墓は、開基 大僧都宗玄和尚です。関が原の戦いに敗れた武将河本弥左衛門はこの地にきて出家し宗玄と名乗りました。
和尚は荒れ果てた行徳の地に来て、製塩の法を住民に教えたり開墾をしました。 ぞくにこの寺が「塩場寺」と呼ばれているのはこのためです。
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