車中泊の旅:放浪日本海北上最終章・九頭竜、越前大野
2位
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- 交通手段 :
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- 現地移動 : 自家用車
- 同行者 :
- カップル・夫婦(シニア)
今回のぶらり旅もついに当初の目的である九頭竜に向かうことになった。
新婚当初、終着駅に行きたいというannakのほんの思いつきで女房殿を誘い(行き先告げず)訪れた、越美北線終着駅である。
当時は駅舎もなくただススキの原っぱだったような記憶だが、現在は立派な駅舎ができ、道の駅も併設されている。
景観の違いに時の流れを強く感じたが、列車の運行数が極端に減っているのがその思いをさらに強くした。
また帰り道最後にお立ち寄りした越前大野もしっとりとした城下町の風情を残した素敵な町であった。
九頭竜は観光地という訳でもなく、ただ回帰したいというだけの思いだったかかもしれないが、駅舎に降り立ッてみてこれまでの夫婦二人の時間が走馬灯のごとく思い出された旅でもあった。
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いろいろ遠回りをしましたが、ついに到着しました九頭竜湖駅。
「あれ、随分立派な駅舎になりましたね、約30年前はブロック造りで3人くらいしか入れない待合所だけだったと記憶しています。
時の流れを感じます。
でもでも、一日の運行本数は5本で21時19分九頭竜湖駅発越前大野行きで最終です。当時訪れた時はもっとあったような????
駅舎は造れど運行本数は激減・・・なんだかな
まあ、annakも車で来ているのでその原因の一つでもあるのですが。 -
ここでannakちと不思議なことに気がつく。
転車台のはあったのだろうか?全く記憶にない(悲)
駅員さんに転車台があったか否か聞いてみたが、転車台って?と聞かれてしまった(驚)ここでannak「転車台がないと機関車を入れ替えることができない、昔はどうしていたのでしょうね?」と聞いてみたら「列車ははどちらへも走れます」「じゃあSLは?」「確かに」もう漫才である(笑)
JRの正規職員では無いかもしれませんね。
結局転車台があったか否かは不明のままである。
JR倉吉線(廃線)は終点の山守駅からSLをバックさせたと聞いた事がありますので、なかった可能性もありますね。
そしてここはこの先越美南線北濃とつながる予定でしたのでなかったのかも? -
併設されている道の駅九頭竜湖でお食事に。
今夜も途中スーパーで購入した地鶏をベースに雑炊、最近結構はまっています。
鶏肉を出汁の中にぶっこみしばらく煮込み、野菜を入れ、レトルトのご飯を入れてさらに煮込む、最後卵を入れて蒸す。簡単レシピですが出汁は秘伝です(笑)
この辺りは恐竜化石の宝庫だそうで恐竜街道として町おこしをされているそうだ。それでもって恐竜のモニュメント。 -
20分程走ったであろうか、夢の架け橋に到着した。
この橋は瀬戸大橋のモデルとなった夢のかけ橋(工費一億五千万、全長266m)です。
所で当時JRで訪れたのだがここまでどうして来たのだろうか、宿泊したのは九頭竜湖駅近くの民宿(大学の先輩に当たるあのねのねのどちらか片方の方の実家だったような)でしたので随分距離がありますが全く記憶にありません。バスだったのか民宿の方の車だったのか?でもここで写真を写している。人間の記憶って・・・・・ -
大野市の碁盤の目のような通り、その七間朝市通りにたつ朝市は、400年以上の歴史を誇っています。
毎年春分の日〜大晦日までの午前7時〜午前11時頃、農家のおばちゃん達が丹精込めて育てた農産物を路上にところせましと並べた青空直売市を行っています。
なんと言っても、七間朝市は、新鮮な野菜達もさることながら、くったくのないおばちゃん達との大野弁丸出しの会話と、食材に関する調理方法などの情報交換も、ここを訪れる楽しみの一つでしょう。(ガイドまる写し)
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金森長近が天正4 (1576 )年頃から約4 年をかけ、築城した安土桃山時代の平山城。
金森氏が天正14 (1586 )年飛騨高山に転封後、城主が交替し、江戸初期の寛永元(1624 )年に松平氏(親藩:徳川家康の直系子孫にあたる家柄の大名)を藩主に大野藩が成立(関が原の合戦後、一時福井藩)、天和2 (1682 )年に元老中の土井利房(譜代大名:関ヶ原の合戦以前から徳川氏に臣従し、幕府の要職に就任する資格のある大名)が入城し、廃藩まで土井氏が城主を務めました。(ガイドまる写し)
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末に大野藩の財政立直しに尽力した家老、内山良休と、
その弟で軍事総督であった隆佐の偉業を偲ぶため、
後の内山家の屋敷を解体復元したものです。
彼らが実際に住んでいた屋敷は、明治6 (1879 )年に焼失。
この屋敷は、明治15 (1882 )年頃に再建されたものです。
現在、屋根は瓦葺きになっていますが、元は板葺きであったそうです。
母屋と渡り廊下でつながれている離れは、大正時代に建てられたものです。
門の南側には、味噌蔵、米蔵、衣装蔵があります。
米蔵と衣装蔵は、北陸特有の重く湿った積雪から屋根を守るために工夫された、方杖で軒を支えているこの地方独特の造りとなっています。 (ガイドまる写し) -
大野市は、地下水が豊富で湧水地がたくさんあることから、水の町として知られていますが、特にこの御清水は、昭和60 (1985 )年に当時の環境庁の名水百選にも選ばれており、味わい豊かな水が湧き出ています。
大野市を囲む山々のうち南側に位置する山の麓、木本扇状地で涵養された水が時間をかけて下をくぐり、この地にわき水となって出てきていると言われています。
御清水の湧き水、御清水で水を飲む子ども達お殿様のご用水として、古くからお城や武家屋敷の生活用水として使用されていたことから、殿様清水と呼ばれることもあります。
この御清水では、水を清潔に保つため、上から飲料水、野菜など食物の洗い場、食器などの洗い場と使用場所を決めて使用しています。
水温は、1 年を通して12 度〜14 度で一定しており、夏は冷たく冬は温かく感じられます。(ガイドまる写し)
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