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不景気風が長引き暗いニュースが多い中、新年早々から菅直人ならぬ伊達直人のタイガーマスク運動が全国に広がると言った心暖まるこのニュースは誰かさんがおっしゃるようにニュースではなくごく当たり前の事として受け止められる世の中であってもらいたいものです。<br /><br />いきなり横道へそれてしまいましたが、旅行の方は只今冬眠中で、昨秋岡山デジタルミュージアムで開催された『山下清展』を訪れた時の展示品(撮影不可)をガイドブックよりピックアップ、作成して見てTVドラマの世界でしか馴染みがなかったこの裸の大将を少しだけ身近に感じられるようになったと思います。<br /><br />山下 清(やました きよし、本名:大橋清治は1922年(大正11年)3月10日に東京・浅草に生まれる。<br />3歳になった清は重い消化不良にかかり3ヵ月後に完治するが、その後後遺症から軽い言語障害と知的障害になってしまいそれが原因で小学生の頃にはいじめで悲惨な日々を送っていた。そしてとうとう小学校にはいられなくなり千葉県にある八幡学園への転校を余儀なくされた。<br />八幡学園での生活は清自身満足のいくものではなかったが、そこでの生活は自由があり、周りからいじめられる事もなかった。<br /><br />そしてこの学園への入園によって清にとって人生を変える転機となる。それは貼絵との出合いで学園の教育方針でちぎり絵の教育を受ける事となった。<br />園長先生に戦争の絵を貼れと言われたのが最初でその後の清の貼絵初期作品は色紙を大きくちぎって貼りつけると言った子供らしい作品で蝶やトンボと言った昆虫が中心であった。<br />人間不信からか初期の作品には人物がまったく登場していない。<br />人物が登場するようになったのは学園に馴染んだ頃からで次第に昆虫から学園内での出来事や友達との想い出、体験等の作品が多くなってくる。<br />いわゆる学園に来た当時、唯一の味方昆虫ばかりの作品が表すように閉鎖的だった清の心が学園生活の作品でもの語っているようにいつしかオープンになっていったと言う事が感じ取れる。<br /><br />昭和12年早稲田大学で学園の児童による小展覧会が開かれ、清の作品は注目を浴びた。翌年には清の作品を中心とした作品展が開かれ、洋画の巨匠、安井曾太郎達から絶大なる賞賛を受ける。<br />この頃の清は画家と言う意識はまだ芽生えておらず、周りの人が勧めるから日課として貼絵を作成しているに過ぎなかった。

晴れの国 岡山(岡山デジタルミュージアム:裸の大将 山下清展?/貼絵との出合い)

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2010/09/16 - 2010/09/16

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comeva

comevaさん

不景気風が長引き暗いニュースが多い中、新年早々から菅直人ならぬ伊達直人のタイガーマスク運動が全国に広がると言った心暖まるこのニュースは誰かさんがおっしゃるようにニュースではなくごく当たり前の事として受け止められる世の中であってもらいたいものです。

いきなり横道へそれてしまいましたが、旅行の方は只今冬眠中で、昨秋岡山デジタルミュージアムで開催された『山下清展』を訪れた時の展示品(撮影不可)をガイドブックよりピックアップ、作成して見てTVドラマの世界でしか馴染みがなかったこの裸の大将を少しだけ身近に感じられるようになったと思います。

山下 清(やました きよし、本名:大橋清治は1922年(大正11年)3月10日に東京・浅草に生まれる。
3歳になった清は重い消化不良にかかり3ヵ月後に完治するが、その後後遺症から軽い言語障害と知的障害になってしまいそれが原因で小学生の頃にはいじめで悲惨な日々を送っていた。そしてとうとう小学校にはいられなくなり千葉県にある八幡学園への転校を余儀なくされた。
八幡学園での生活は清自身満足のいくものではなかったが、そこでの生活は自由があり、周りからいじめられる事もなかった。

そしてこの学園への入園によって清にとって人生を変える転機となる。それは貼絵との出合いで学園の教育方針でちぎり絵の教育を受ける事となった。
園長先生に戦争の絵を貼れと言われたのが最初でその後の清の貼絵初期作品は色紙を大きくちぎって貼りつけると言った子供らしい作品で蝶やトンボと言った昆虫が中心であった。
人間不信からか初期の作品には人物がまったく登場していない。
人物が登場するようになったのは学園に馴染んだ頃からで次第に昆虫から学園内での出来事や友達との想い出、体験等の作品が多くなってくる。
いわゆる学園に来た当時、唯一の味方昆虫ばかりの作品が表すように閉鎖的だった清の心が学園生活の作品でもの語っているようにいつしかオープンになっていったと言う事が感じ取れる。

昭和12年早稲田大学で学園の児童による小展覧会が開かれ、清の作品は注目を浴びた。翌年には清の作品を中心とした作品展が開かれ、洋画の巨匠、安井曾太郎達から絶大なる賞賛を受ける。
この頃の清は画家と言う意識はまだ芽生えておらず、周りの人が勧めるから日課として貼絵を作成しているに過ぎなかった。

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  • ◆貼絵に息づく昆虫たち◆<br /><br />子供の頃、周囲の子供達にいじめられ、一人で遊ぶ事が多かった清。<br />中でも虫捕りは、当時まだ豊かな自然があった浅草の自宅付近で、弟達と楽しんでいたと云う。<br />そしてこの虫捕りは、清の初期の貼絵に大きな影響を与えていたと思われる。その初期の作品には大好きだった昆虫や花など、身近なものを題材にする事が多く、その制作風景を見て学園の先生は帽子や机の中に入れた虫が紙の上に表現され、清はこれと遊んでいるようでその姿は美しくあったと語ったと云う。<br /><br />あしなが蜂 貼絵 1934年作品

    ◆貼絵に息づく昆虫たち◆

    子供の頃、周囲の子供達にいじめられ、一人で遊ぶ事が多かった清。
    中でも虫捕りは、当時まだ豊かな自然があった浅草の自宅付近で、弟達と楽しんでいたと云う。
    そしてこの虫捕りは、清の初期の貼絵に大きな影響を与えていたと思われる。その初期の作品には大好きだった昆虫や花など、身近なものを題材にする事が多く、その制作風景を見て学園の先生は帽子や机の中に入れた虫が紙の上に表現され、清はこれと遊んでいるようでその姿は美しくあったと語ったと云う。

    あしなが蜂 貼絵 1934年作品

  • 蝶々 貼絵 1934年作品<br /><br />『蝶々は虫の中で一番きれいな虫で 蝶々の好きな人もあれば 嫌いな人もいる 蝶々には粉があって その粉を汚がって嫌がる人がいる 好きな人が蝶々をつかまえて遊んでいると 汚いから逃がせと言うので せっかく上手くつかまえた蝶々を逃がすのが惜しいのです』<br />↑↑↑<br />山下清の手紙等の文章には句読点がない。<br />その訳は「人と話をする時は点やマルとは言わないんだな カッコとも言わないんだな」と本人の弁。<br />

    蝶々 貼絵 1934年作品

    『蝶々は虫の中で一番きれいな虫で 蝶々の好きな人もあれば 嫌いな人もいる 蝶々には粉があって その粉を汚がって嫌がる人がいる 好きな人が蝶々をつかまえて遊んでいると 汚いから逃がせと言うので せっかく上手くつかまえた蝶々を逃がすのが惜しいのです』
    ↑↑↑
    山下清の手紙等の文章には句読点がない。
    その訳は「人と話をする時は点やマルとは言わないんだな カッコとも言わないんだな」と本人の弁。

  • とんぼ 貼絵 1934年作品

    とんぼ 貼絵 1934年作品

  • 蝶 貼絵 1934年作品

    蝶 貼絵 1934年作品

  • 蝶々 ペン画

    蝶々 ペン画

  • さかな ペン画

    さかな ペン画

  • ◆貼絵になった学園生活◆<br /><br />清の心の変化は、貼絵の題材にも顕著に表われてくる。<br />初期の貼絵で多く見られた昆虫から、いつしか日々生活する学園の様子に変化し、作品には人物が登場するようになった。<br />子供の頃から深い心の傷を負った清は学園生活の中で貼絵と出合い、そして友達と呼べる存在にも巡り会えたのではないだろうか。<br />変化したのは題材だけではなく貼絵のテクニックも驚異的な進歩を遂げ、大きな色紙を貼る初期作品から、色紙を細かく千切って洋服や寝具の模様に体重計の針までも表現するようになる。<br /><br /><br />餅つき 貼絵 1935年

    ◆貼絵になった学園生活◆

    清の心の変化は、貼絵の題材にも顕著に表われてくる。
    初期の貼絵で多く見られた昆虫から、いつしか日々生活する学園の様子に変化し、作品には人物が登場するようになった。
    子供の頃から深い心の傷を負った清は学園生活の中で貼絵と出合い、そして友達と呼べる存在にも巡り会えたのではないだろうか。
    変化したのは題材だけではなく貼絵のテクニックも驚異的な進歩を遂げ、大きな色紙を貼る初期作品から、色紙を細かく千切って洋服や寝具の模様に体重計の針までも表現するようになる。


    餅つき 貼絵 1935年

  • 剣道 貼絵 1936年

    剣道 貼絵 1936年

  • 寝る支度をしているところ 貼絵 1936年

    寝る支度をしているところ 貼絵 1936年

  • 大工さん 貼絵 1937年

    大工さん 貼絵 1937年

  • 柔道 貼絵 1937年<br /><br />『僕は初め柔道を知らないで 柔道と言うものは角力に良く似ているから 角力も柔道と同じだと思ったら 角力は力で勝つが 柔道は技や押さえ込みで勝つ 柔道と言うものは 一生懸命稽古して強くなるのは何故かと言うと 向こうから喧嘩をふっかけたりする時 自分の身を守るためで 柔道の技で相手を倒すのです』

    柔道 貼絵 1937年

    『僕は初め柔道を知らないで 柔道と言うものは角力に良く似ているから 角力も柔道と同じだと思ったら 角力は力で勝つが 柔道は技や押さえ込みで勝つ 柔道と言うものは 一生懸命稽古して強くなるのは何故かと言うと 向こうから喧嘩をふっかけたりする時 自分の身を守るためで 柔道の技で相手を倒すのです』

  • 身体検査 貼絵 1937年

    身体検査 貼絵 1937年

  • 二重橋 貼絵 1937年

    二重橋 貼絵 1937年

  • 寝るところ 貼絵 1937年

    寝るところ 貼絵 1937年

  • 体操 貼絵 1937年

    体操 貼絵 1937年

  • 風呂場 貼絵 1937年

    風呂場 貼絵 1937年

  • 活動写真 貼絵 1937年

    活動写真 貼絵 1937年

  • 雪だるま 貼絵 1937年<br /><br />『寒い寒い日には雪が降る 雪が降ればとてもきれいで 野原一面に真っ白に積もって とてもきれいだ 雪がどんどん降って 大雪や小雪が降る 大雪ははっきり目立って 小雪はどんどん積もる 毎年冬になると必ず雪が二三回降る 今年は雪が降らないようでも 雪が降るので主に雪が降るのは二月だろうと思います』

    雪だるま 貼絵 1937年

    『寒い寒い日には雪が降る 雪が降ればとてもきれいで 野原一面に真っ白に積もって とてもきれいだ 雪がどんどん降って 大雪や小雪が降る 大雪ははっきり目立って 小雪はどんどん積もる 毎年冬になると必ず雪が二三回降る 今年は雪が降らないようでも 雪が降るので主に雪が降るのは二月だろうと思います』

  • 上野の地下鉄 貼絵 1937年

    上野の地下鉄 貼絵 1937年

  • 農園 貼絵 1937年<br /><br />『僕は学園へ来てから 農園と言うものは初めてで 農園と言うものは何をやるのかと思ったら 畑の方をやることで 学園の農園は二つある 向こうの方の農園ともうひとつは運動場の隅っこの方にある農園で そこには鳥小屋が二つあって 毎日卵を二つか三つ産みました』

    農園 貼絵 1937年

    『僕は学園へ来てから 農園と言うものは初めてで 農園と言うものは何をやるのかと思ったら 畑の方をやることで 学園の農園は二つある 向こうの方の農園ともうひとつは運動場の隅っこの方にある農園で そこには鳥小屋が二つあって 毎日卵を二つか三つ産みました』

  • 庭 貼絵 1937年

    庭 貼絵 1937年

  • 桃畑 貼絵 1937年<br /><br />『十日は良いお天気で 朝食がすんでから便所に行く人は行って 茶褐を着がえたり 帽子をかぶってリュックサックや胴乱や 水筒を用意しました 僕はリュックサックを背負いました 写生する人は写生の用意をしました 園長先生に行って参りますと言って 桃畑で写真を写しました 方々に桃や菜の花できれいだった どこへ行っても桃の花がたくさん咲いていました』

    桃畑 貼絵 1937年

    『十日は良いお天気で 朝食がすんでから便所に行く人は行って 茶褐を着がえたり 帽子をかぶってリュックサックや胴乱や 水筒を用意しました 僕はリュックサックを背負いました 写生する人は写生の用意をしました 園長先生に行って参りますと言って 桃畑で写真を写しました 方々に桃や菜の花できれいだった どこへ行っても桃の花がたくさん咲いていました』

  • 田舎の風景 貼絵 1937年

    田舎の風景 貼絵 1937年

  • 湖畔 貼絵 1938年

    湖畔 貼絵 1938年

  • ともだち 貼絵 1938年

    ともだち 貼絵 1938年

  • 上野の東照宮 貼絵 1939年

    上野の東照宮 貼絵 1939年

  • 園芸作業 貼絵 1939年

    園芸作業 貼絵 1939年

  • 八幡様の鳥居 貼絵 1939年

    八幡様の鳥居 貼絵 1939年

  • 練兵場へ遠足 貼絵 1940年<br /><br />『今日は曇りで 雨は降らないようでした 皆二人ずつで 時々色々な植物を取りながら行きました 十月半ば過ぎには 稲が黄色になって百姓さんが沢山働いて稲を干したりしていました いよいよ練兵場へ着いて そこでお弁当を食べて じゃんけんをして組みを分けて 駆逐水雷をやるので 僕は帽子がないので友達の帽子を借りてやりました』

    練兵場へ遠足 貼絵 1940年

    『今日は曇りで 雨は降らないようでした 皆二人ずつで 時々色々な植物を取りながら行きました 十月半ば過ぎには 稲が黄色になって百姓さんが沢山働いて稲を干したりしていました いよいよ練兵場へ着いて そこでお弁当を食べて じゃんけんをして組みを分けて 駆逐水雷をやるので 僕は帽子がないので友達の帽子を借りてやりました』

  • ◆静物画への挑戦◆<br />清の貼絵の才能が最初に脚光を浴びたのは、昭和12年学園の子供達の小展覧会が、早稲田大学で開催された時であった。<br />翌年にも同所で開催された小展覧会には、安井曾太郎をはじめとする一流の画家たちが清の貼絵に感嘆し、この少年の才能に安井氏は「いずれにしても不思議な天分の持ち主で、今後どうなるか楽しみでもあり、不安でもある」と語ったと言われている。<br />高い評価を得た清は、この頃から静物画に取り組むようになった。<br />清は、栗のイガを表現する為に古い切手を使うなど、独特の手法を次々と発揮した。<br /><br /><br />鉢花 貼絵 1937年

    ◆静物画への挑戦◆
    清の貼絵の才能が最初に脚光を浴びたのは、昭和12年学園の子供達の小展覧会が、早稲田大学で開催された時であった。
    翌年にも同所で開催された小展覧会には、安井曾太郎をはじめとする一流の画家たちが清の貼絵に感嘆し、この少年の才能に安井氏は「いずれにしても不思議な天分の持ち主で、今後どうなるか楽しみでもあり、不安でもある」と語ったと言われている。
    高い評価を得た清は、この頃から静物画に取り組むようになった。
    清は、栗のイガを表現する為に古い切手を使うなど、独特の手法を次々と発揮した。


    鉢花 貼絵 1937年

  • ゆり 貼絵 1938年

    ゆり 貼絵 1938年

  • 栗 貼絵 1938年<br /><br />古い切手を使用した作品。<br />切手によって栗のイガが立体的に表現されている。

    栗 貼絵 1938年

    古い切手を使用した作品。
    切手によって栗のイガが立体的に表現されている。

  • 藤 貼絵 1939年

    藤 貼絵 1939年

  • いけ花 貼絵 1938年

    いけ花 貼絵 1938年

  • つつじ 貼絵 1939年

    つつじ 貼絵 1939年

  • 桜 貼絵 1939年

    桜 貼絵 1939年

  • 菊 貼絵 1939年<br /><br />花びらの間を飛び回る蜂が、見事に表現されている。

    菊 貼絵 1939年

    花びらの間を飛び回る蜂が、見事に表現されている。

  • 菊 貼絵 1940年

    菊 貼絵 1940年

  • ばら 貼絵 1939年

    ばら 貼絵 1939年

  • さるすべり 貼絵 1940年

    さるすべり 貼絵 1940年

  • 木蓮 貼絵 1940年

    木蓮 貼絵 1940年

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この旅行記へのコメント (4)

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  • hot chocolateさん 2011/07/10 23:46:27
    勉強になりました。
    comevaさま、こんばんは。

    裸の大将/山下清については、放浪の貼り絵画家ということは知っていても、どういう作品があるのかとか、どういう人生を送ったのか、あまり知りませんでした。
    映画やTVドラマも見なかったので、こちらの旅行記で勉強させていただきました。
    ありがとうございました。

    hot chocolate

    comeva

    comevaさん からの返信 2011/07/12 21:26:07
    RE: 勉強になりました。
    > comevaさま、こんばんは。
    >
    > 裸の大将/山下清については、放浪の貼り絵画家ということは知っていても、どういう作品があるのかとか、どういう人生を送ったのか、あまり知りませんでした。
    > 映画やTVドラマも見なかったので、こちらの旅行記で勉強させていただきました。
    > ありがとうございました。
    >
    > hot chocolate

    hot chocolateさん こんばんは。
    裸の大将へご訪問有り難うございます!

    当日のデジタル・ミュージアム内での撮影は当然のことながら不可でしたのでこの貼絵・絵画展関連の本を購入してこちらで紹介させて頂きながら私自身も勉強させて頂いています。

    作成が遅くなり年を越した上、尚且つひとつの旅行記完成までに少々時間をかけてしまいましたが、何とか形だけでも大将自身の生い立ちを紹介出来たのではないかと自己満足しています^^;



  • 吉備津彦さん 2011/01/14 10:05:05
    素晴らしい
     撮影不可でもこんな裏技がありましたか?

    清展、堪能させて頂きました。

    comeva

    comevaさん からの返信 2011/01/15 05:40:03
    RE: 素晴らしい
    >  撮影不可でもこんな裏技がありましたか?
    > 清展、堪能させて頂きました。

    吉備津彦さん おはようございます。
    ご訪問にコメントと有難うございます!

    旅行の方が冬眠期間中と言う事でこれまで未作成だったものを自己満足ですが、今のこの時期に作成させて頂いてます^^;

    C

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